危うい世界 -理想を凌駕する己に巣くうご都合主義- 〈自分ファースト〉
今に始まったことではないが、とうとう一線を越えてしまったと痛感した。知事の失職に伴う兵庫県知事選挙において、斎藤前知事が2回目の当選を果たしたことだ。兵庫県の民意がそうさせたのだからいたしかたないことではあるが‥‥。
何が一線を越え危ういのかというと、我々一般人の思考が「理想」より「己の利」が勝る状況になったと感じたことである。
パワハラは確かによからぬ行為で、県職員にとっては重大な問題かもしれないが、一般の県民からすれば、当事者ではないので、何の痛みも感じ得ないどうでもいいこととなる。おねだり疑惑にしたって、よからぬ行為であるのは明白ではあるが、県職員からすれば、自分たちが業者から金品を受け取ったりでもしたら即刻処分となるのに、知事ならいいのかと不満を抱くだろう。一般人の目線では、自分たちの税金が使われたわけでもないし、自分の腹が痛むわけじゃない。つまりあまり関係ないといったところに落ち着くのであろう。そのうえ、県民の利益に結びつく功績があるとなれば、問題があったってええやろとなるのやしれん。
理想としては、人格、政策ともに優れた人で誰に対しても平等あればよいのだが、得てして前者をとるか後者をとるかという二者択一に迫られる。それでも、理想には近いだろう前者を重視すればよいのだが、己の利益と鑑みて後者を選択してしまうケースとなるようだ。
アメリカは分断・格差の様相が顕著であるが、日本も同じであろう。己の都合につけこまれ、本質をぼやかされ、すりかえられていく理想の姿がそこにある。この二国にとどまらずどこの国も同じベクトル上にあることだ。人類に課せられた命題「自分の思い通りにするために他を排除することを是とするのか」「自分がよければ他には関心なくてよいのか」。
世界に見られる不法移民に対する風当たりの強さ。アメリカはもとより、欧州、そして川口市蕨に見られたクルド人追放ヘイトデモ。言い分はあろう。しかし、そこに見えることは、理想とは真逆の様相をあらわしてしまうことなのだ。自然を含む地球規模の制圧によって栄えたと自負する人類は、それを基盤として、次の制圧を生み出してきた。結果、理想も希望も見えない社会が拡がっている。教育もこの盲目の中にさまよっている。