Vol.69 回覧から「ロンダリングのルーティーン」

 回覧で回ってくる新聞の抜粋。日野市の元副市長問題(助成金搾取)を受け、不正な収支がないかを各機関で点検調査するようだ。学校で何かが見つかれば、またもや学校叩きの構図となって、締め付けが強固になってゆくのだろう。下へ下へと責任を薄め広めていって焦点をぼかす算段と見えてしかたない。
 東京都は東京都若者ワクチン接種センターを設けたが、並ぶ若者、密、接種できない者が多数出たことについての記者からの質問に対し、小池都知事はイラついた様子で「現場でちゃんとやってくれないと」的な言葉を述べた。結局それかよって思ってしまう。振り回される若者、現場の従事者。最後にはすべてが見放される結果へとたどりつく悪循環。
 コロナにかこつけてちゃんと出来もしないGIGAスクール構想へとやみくもに突き進む満身創痍の日野市。オンライン授業なんて無理っしょ。できる環境を見据えもせずに「ICT先進市」としての誇りだけを錆びれ立ち遅れ財政が追い付かぬままに「GIGAスクール やってますよ」と空元気を振りまく始末。やらされる方はたまったもんじゃない。
 学校は、コロナ感染予防の指導から丸腰で濃厚接触者の把握をする業務追加が現実化しようとしている。こうして「現場でちゃんとやってくれないと」できないものばかりがあふれ出し、学校崩壊危険度のステージは右肩上がりとなってゆく。
 原点に返る。初心に帰る。という発想はまったくもって無くなってしまった。何かがあれば、号令が矢継ぎ早に発せられ、対処の方法も謎めく中で対処に追われるルーティーン。
蟻地獄かよ!って感じ。
 「ホーム&スクール」とかいう 出来の良くない C4th(シーフォース)に取り込まれた通信アプリ。「とにかくあればいい。使い勝手が悪かろうが、使用者が困ろうが、安ければいい、市からの学校・家庭への通信、市が知りたいことさえわかればいい。」とする公務支援、こっちから何かしようとすれば、承認、承認、承認‥‥。学校機能を阻害していますよ。「公務停滞ソフト」とどれだけ声をあげても聞き入れる姿勢もない。「安かろう。まずかろう。」で「できることを工夫してやれ」とはどういうこと。朝礼でさえ放送朝礼、始業式も放送。モニタに映すだけでも準備と時間と手間がかかるのに、この上 C4th「ホーム&スクール」、「クロームBOOK 貸与」、リモート授業の模索。そして 新指導要領、新たな評価の仕方と我々を悩ます材料は増えるばかりである。
 修学旅行は中止となった。「代わりとなるものを生徒たちの意見を聞いて行う予定である。」と告げた。本当は「代りにはならないけど、どこか1日行く」が正解である。生徒の中から修学旅行のような活動(班活動など)をしたいというなら、「鎌倉」という手もありうるが、進路が決まらぬ中で準備をしていくのは難しいと思われる。卒業遠足と称して行われていた頃であれば、「飯盒炊爨 班活動 + テーマパーク散策」などをやってきた記憶はある。けれどもそれすら今は無理でしょと思う。なぜなら、コロナ以前にアレルギー問題もあり、O157、用具の扱い、マナー等、一学年の時に経験させていれば、系統的に成り立つものだが、許可される見込みは薄いだろう。結局、限られたスペース(テーマパーク)におっぱなすこととなるのは必至だろう。でも、校長は言っていた「鎌倉とか」と。その言葉の裏には何があるの?修学旅行は中止だが、その意義をふまえた行事として行うことという縛りがあるのかもしれない。
 なんでこんなに教育活動が一元化した状態に陥ったのか。余地というか余裕がないほど次から次へとほとんど意味のないものを、意義という意味付けをほどこして必ずやらせる方向で迫られる。最近で言えば、朝読書とクロームBOOKリモート確認。分散登校で学校に来ない子はクロームBOOKで朝学活。来ている子は、朝読書。朝読書はちゃんと25分から40分までやりましょう。来てない子は35分ぐらいから接続しましょう。必須事項はどっち?両方?コロナ禍で、分散登校とリモート通信確認を行っている以上、読書のところを通常通りとするのは、担任の負担が大きい。「はじめからリモートはうまくいかないのはわかっているのだから、読書の方はちゃんとやろう」と受け取れる。政治や社会の流れと呼応して、未来を覆う不透明な雲は、晴れることを知らない。
 文章を書いている間にも、世の中はまた、新たなニュースを伝える。アフガン問題、菅総理退陣。菅総理の身になれば、自分がしたいことを何もできないまま、コロナ対策に追われ、オリパラに追われたということだろうが、安倍内閣を引き継ぐ形で総裁になったわけだし、安倍内閣の参謀として政治を進めてきたのだからいたしかたあるまい。所詮菅内閣は「でくの坊(人形)内閣」だったのだから‥。しかし、11月の総選挙をにらんで、「菅のままだと自民党は大敗する。」気運から、まずは総裁選で頭を変える策となった自民党。その中において、菅総理が総裁選への出馬をごり押しできるはずもない。「頭をかえなければ、総選挙で負ける」というぼんやりとしたロジックにも、政治のこれまで施してきた政策にも、自分のことしか考えない利己的思考の影響を受けているとしか考えられない。ロンダリング手法によって都合のよいものは既成事実とあるべく報道し、都合の悪いものはどうにもならんともやもやした闇へと葬ろうとしている。政治の手法も経済界の手法も教育の手法も世の中を包括して放さないのはロンダリング指向だ。どっちを向いても正解がない、挙句に「置いてきぼり」にされて、格差の底へと追いやられる。そうならないためには「垢」を綺麗に落としてから、塗りなおしていかねばならぬのに、上塗りを繰り返すだけ‥‥。南校舎3階廊下の北壁ごとく、剥がれ落ちて、「誰が、剥がした」とかいう問題が再発するルーティーンにならねばいいがと思うこの頃である。2021.9.5

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