Vol.60 民主主義の仮面をかぶった権威主義者たち

 数は力なりという。政治に限らず、人の世の摂理とばかり、万物を数値によって評価し判断するのが当たり前となってきた。
 人が捉えやすいようにと数値化するように心がけてきたものだが、数値に左右され、振り回される現状となってしまった。ここまでくるとコンピュータの方が素早く的確に判断してくれると更にIT化の波は高まる。人が考え、判断しなくて済む方向性を示している。為政者にとっては何とも都合の良いことではないか。会議も議論も必要薄となり、独裁が許される空気が浸透していく。電脳数値君がその筋の専門家として台頭していくのであろう。この参謀を抱えて為政者はやりたい放題を繰り返す算段だ。
 数値を正しく用いることを忘れてはならない。数値を正しく用いる方法さえ数値化して判断しようとするかの勢いである。法律も考えというものをある意味数値化した文字としてつくられたものである。この法律というものの制約を受けるのはまずは為政者であるはずなのだ。彼らが暴走しないよう組み上げてきた歴史が物語っている。しかるに世界の動向は法律は民(一般庶民)にかかるものとして施行されかねないのだ。為政者にとってはさらに都合の良い状態となる。特措法は民の我慢や制約を強いるためのものではないはずだ。しかし、そうであるか見せて民を従わせるべく用いる。さすがに強制とは言いづらいのか、お願いベースとなっていく。上手くいかねば、「民の意識が低い」と嘆く。根本的な意識が低いのはそちらでしょ。”八方美人” “巧言令色鮮し仁” いい顔してへつらうように見せながら、言葉巧みに大口叩くが、実をともなわない情けなさ。現場を見よ!人を見よ!偉い人の目はどこを向いているんでしょう。間違いなく人(民)ではないですよね。彼らの逃げ場はまた数値なのかもしれません。

 コロナ対応で言えば、何を狙っているのでしょう?
 ・人の動きを抑える→感染の拡大を防ぐ。
 なのか、
 ・飲食店の営業にお願いベースの抑制をかけ閉める→人が来なくなる→感染の拡大を防ぐ。
 なのか、わかりません。
 あいまいにすることで、結局得するのは為政者軍となるようにしか見えないのだ。彼らが望むのは、飲食店が勝手に店を開いて(補助金をうけとらずに)、また、一般庶民はお願いベースの行動規制を受け入れて動かなくなること。一挙両得の算段を踏んでいるとしか思えない。民に初めから行動規制をかけると、必ずや飲食店にお金を渡さなきゃならんから、店は開いたが、人が入らなかった。でも、人が動いてないから感染拡大は食い止められた。開いた飲食店はお気の毒様。潰れても知りませんよ。といったあたりにうまいこと落とし込もうとしている気がする‥‥。で、そんな計算高いことやってる間に医療現場はひっ迫していくのだ。こんなばかばかしいスパイラルを描いてどうするの?
 医療現場なり保健所なりの人手を増やすことがままならない今、民はお願いベースであっても素直に受け入れる心境にあろう。しかし、時短だ8時以降だ何だと外出規制を受け入れなくてもいい時もあるのかとみせておいて、あおるGoToみたいな状況では、話にならない。緊急事態時の緊急事態である。
 今回は学校は休校にしない。前回の反省をふまえたからだそうだ。どんな反省?「学校を休校にしたのは痛かった」からだそうだ。どこが誰が痛かったのかはさっぱりわからない。世はテレワーク7割と叫んでいる。学校には生徒が来る。テレワークはあり得ない。部活は活動停止となったから、時差勤務にして30分繰り上げるのはよいのだという。給食時間だって働いているわけで、16:05~16:50が休憩時間になっているのだから、コロナ緊急事態宣言中は、せめて16:05分で皆退勤でもよいではないか。休憩時間を割いて給食指導に当たっていることを考えれば平常からそれでもよいだろうに。なぜに8時間30分間の職場での拘束にこだわるのだろう。時間を有効に個人が設定して負担を軽減する働き方改革ではいけないのか?

 現場や民や労働者のためにと称して、嘘偽りの中に迷い込ませる。「我が国は法治国家である」と多用に発し、民主主義なのかなとにおわせておいて、身動きの取れない権勢下に置き、都合のいい法改正へと乗り出すつもりなのであろう。制限や無理を加えても世論から当たり前と見て取れる部署には際限なく無理を強いて、乗り切ろうとするやましい精神はコロナ以前から始まってはいた。下僕は黙って働き続けよってかぁ。世論と言われるその内実は、一人ひとりが自分にとって関係のないものは、損とならないものは、どうだってかまわないという論理で成り立っている。それが現代なのだ。自分にとって関係なければ、頑張ってくださいなといったところである。子供たちがこの経験している中で、こんなことを学ばせていくことは恐ろしいことである。

 観点が統一された3観点になる。指導要領の改訂だ。各々の教師が観点と評価への裁量の余地があるのかが問題である。内容・方法についてまでこうしなければならないといった制約だけが残るのではないかという危惧を感ずる。権威や法規、きまりに準ずる仕組み作りにお忙しい権威を有する者たち。心を有さぬ彼らは、現場という実態を決して見ることなく、またも机上で数値をはじいている。
      2021.1.14

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