カオスからの暴発

 保険金不正請求の問題として糾弾しているのは、経済を見据えた上層部の思考だ。物事の指標を金銭やらの経済的尺度で測ろうとする。保険業者からすれば、とんでもないことだとして、損害賠償を求めるだろうが、その実、両者がずぶずぶの関係である疑いもあり、結局そのつけは保険料の上昇といった消費者に回る仕組みだ。損害を被った消費者や店舗の従業員に視点を向けられる道筋は残るのか危惧するばかりである。
 副社長の店舗査定・降格人事といったパワハラをかわきりに幹部が各店舗・工場に圧力をかける。また各店長は従業員に対して副社長に倣えとばかりパワハラを施す。覇権を握り、下位を従わせ、裾野を拡げていく慣例のごとき悪しき体制は今に始まったことではない。
 脅しという恐怖で成り立つシステムをゆるしてはならない。しかし、声を上げれば、自分が標的になってしまう。これは、子供社会のいじめと何ら変わりはない。いじめの延長線上にあるのが、強要しつつも下位に忖度させようとするハラスメントの実態だ。

 混沌とした世の中にも慣れてしまった我々。混沌していることが当たり前であり、その中で生き抜くスキルを持つことを求められる。働き方をはじめ生き方を自分で改革・創造していくのであるからよろこばしきことだと思う人も多かろう。
 よく考えてみよう。企業社会はカオスであることを是正するための方策ではなく、カオスを利用して、対処療法的なスキルを売り込もうとしているということだ。カオスの是正は、政府がなすべき事項であって、業界とは本質的には無縁であると言いたげである。経済という緒が繋がっていはすれども。
 さらに一方の政府の思考も是正ではなく、業界にのっかる有様ともいえる。カオスの中で泳ぐものはカオスを助長し、自らもカオスにのみ込まれていく。根源的な是正を図ることを指示することはもちろん示唆する姿勢も見あたらない。
 一般人はこの現状に持って行き場のないいらだちを感じはすれど、それもカオスの成せるものとして、狐につままれたようにやがては容認していく過程を辿る。一蓮托生の政界と業界が生み出す混沌の中で人々は泳がされている気がする。

 世の中の事件事故の根源は、己の中に生じた混沌にあると思える。それは、時にストレスとも呼ばれてしまい、元凶にたどり着き是正する方向性を弱めてしまうこともあるようだ。
 カオス暴発の例と言えば、安倍晋三元首相の銃撃事件。個人の恨みや身勝手な考えが過激化して引き起こされた凶行として捉えられるむきが強い。統一教会がらみのことも話題とはなったが、政治家はそれとの関連は別個のものと切り離してほしいのか、当初、容疑者をテロリストと捉えさせようとしているかに見えた。何がそうさせたのか、どんな事情・情状があるのか、鑑みる姿勢は薄い。情状が少しずつ明らかになると、統一教会の高額献金問題には目をつむり、選挙の際の票数まとめの後ろ盾として繋がっていたことはぼやかし、混沌の海へとまた戻す手法を執る。カオスの暴発は、カオスの中に再び埋没させることで終息を迎えようとしている。

 我々の深層心理にはびこる意識。「いじめ」はなくならない。「上意下達のハラスメント社会」もなくならない。「そらして煙に巻く悪しき政治体質」もなくなりはしない。「数値に換算してものの良さを謀る経済遵守の社会」もなくなるわけがない。そして、そう思ってしまう根源には、「戦争はなくならない。」という心理がはびこっているからのようだ。これが、「なくならないのだからあきらめるしかなよね。」という図式をもたらす。このらせんに渦巻く無限ループの社会構造が夢や希望を絡め取っていく気がしてならない。異常気象、自然災害がどれだけ危機的な兆候を示していようとも、戦争は起こるわけだし、資源を食い潰す姿勢に変わりはないし、自分という狭い世界に巣くう声が「今が、自分がよければいいじゃん。」と囁き、結局、とどまることなく流していってしまう。

 カオスが暴発寸前の今、全人類的地球規模の純粋な道徳心を経済や利益に鑑みることなく発信していかねばならないだろう。

2023/08/16

hirorin について

東京で中学の国語教師をしていました。
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