人類の都合

 生態系の頂点に立つと自負する人類。人類にとって役に立つものを構築していくことが進歩だと信じてきた。
 地球温暖化をはじめとする環境破壊の原因はおもに人類によるのもだと分かっていても、今いる層を降りる気配はない。同じレイヤーに留まったままであれやこれやと御託を並べて傍観する。人類にとって都合の良い状態が地球にとっても良いと当たり前に思えてしまう傲慢さはかなり根深いものと言える。
 「対岸の火事」として、自分に影響が及ばぬ限りは、高をくくって、深刻に受け止めることはない。自分の身を案じる情況になって慌てるのである。もうその時には取り返しのつかない状態となっている事が多いと思われる。「他山の石」として受け止める寛容さと冷静さに欠けるのだ。
 格差社会は持てる者と持てぬものの分断を生む。最終的には、どちらに属するかラベリングされる傾向だ。

 安倍元総理が撃たれた。口をそろえて「民主主義に対する冒涜である」と岸田総理や岸防衛相やテレビの解説者が述べている。選挙戦の最中であるところから、「選挙という民主主義の根幹を汚された」「暴力という蛮行で国家を覆す行為は断じて許すことはできない」ともいう。
 確かに選挙が民主主義をつかさどる大事なことではある。しかし、民主主義を倒すべく行われた蛮行であるとするには疑問が残る。選挙期間中を狙うということは民主主義に対する挑戦であると捉えている節が政治家を含めた社会に強いようだ。選挙で勝つことが政治家にとって最も大事なことであって、勝てば「人々の支援が得られた。すなわち民主主義なのだ。」としたいのだろう。選挙で勝ったものは、多数の支持を得た多数派として、多数派の都合で少数派を潰しにかかるだろう。それも民主主義だとして。
 容疑者宅を爆発物処理班が捜索するようだ。その物々しさはまるでテロリスト扱いである。選挙応援活動を止めずに最終日も行うとした茂木幹事長は「暴力に決して屈しない」という姿勢をみせている。容疑者が何の目的で安倍元首相を殺そうと思ったかもはっきりしない中で、テロ・国家転覆・クーデターの主犯格としてまつりあげられている気がしてならない。組織的な犯罪と見ているのか、90名の捜査員を動員しての捜査本部が立ち上げられた。確かにあり得るかもしれぬが、そうである方向へしたてる意向がはたらいている気がしてならないのだ。弱者としての怒りが凶行に駆り立たせたかもしれないのに。暴力とまではいかずとも、暴力に近い上位者の権威によって弱者はこれまで辛酸をなめてきたというのに。森友・加計問題、公文書改ざん問題、桜を見る会問題‥‥。力でねじ伏せて民意に背いてきたのは強者である彼らである。法治国家やら民主主義やらと聞こえのよい言葉をまいて煙にまこうとせんとするかに見える。政治家からすれば、選挙が民主主義の根幹かもしれぬが、一般庶民から見れば弱者をも切り捨てずその気持ちもくみ取ることに尽きる。強者の言論であろうが、弱者の言論であろうが、とにかく暴力で言論を封じこめることはあってはならない。それこそが民主主義の根幹である。ただし、弱者の言論については意図的につぶされたり、改ざんされたりしてきた経緯があるのは事実だ。政治家の言う民主主義と一般庶民の想う民主主義とには、大きな温度差があると言える。

 持てる者(強者)は、持てぬもの(弱者)との境界線を明確にしていく。弱者には不穏当なラベリングがなされ、レッテルへと昇華させていく。強者の都合こそが人類の都合だとさけんでいる。弱者をはじめとする自然界に類するもの全ての都合と鑑みる必要性を感じてならない。この病んだ世の中にさらなる思い上がった意向を積み重ねていってはならない。要人に充てる警護は今後さらに強化されるであろう。それが、強者の都合だからである。金も神経もつかって進むであろうその流れは、決して弱者の都合にそぐうものとは言えない。

 2022.7.8

hirorin について

東京で中学の国語教師をしていました。
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