Vol.27 いよいよやばいよ エトセトラ

いよいよやばいよ エトセトラ

 老後の生活費とからむ年金問題が国会でも話題となっている。
 6月11日に自己申告に伴う校長との面接が行われた際、「先生!あなたの経験をもっと活かしてみませんか?」という見出しの付いた東京都教育委員会発のチラシをもらった。「65歳を超えても、あなたを必要としている学校があります!」といううたい文句で書かれているものである。どうやら、再任用のシステムが変わっていくかららしい。非常勤教員であれば、65歳までという年齢制限がなくなり、定年退職後でも働けるというのだ。一見、暇となる退職者にとっては、体と頭を程よく使う上でもよいことではないかと受け取れる。そのチラシの裏面の最後の「Q & A」の項にはこうある。
①66歳以降で働く場合には教員免許状更新が必要である旨。
②働きながら年金を受け取る場合、年金額の一部又は全額が支給停止になることがあります。詳細は、日本年金機構のHP等でご確認ください。との逃げ口上。
 「老後(退職後)の働き方に改善あり!」と見せかけておきながら、結局、年金の受給を遅らせ財源を担保しようとでもするのか。
 免許状の更新にも手間と時間とお金がかかるわけだし、それをしてまで、年金をもらわず66歳以降も働くことを奨励するような社会の流れは作ってはならんと思うのであります。巷のニュースで「老後2000万円不足」「年金だけでは生きていけない」「年金100年安心はウソだった」とあるとおり、なんとか誤魔化して年金の受給を抑える方向性としか思えません。あわよくば再任用(年金受給前)中に死んでくれ。と言われているように思えてしまうのです。
 年金問題にかぎらず、教育全般がまやかしの霧の中にある。首を横にかしげながら仕事をしているこの現状。何のため? でどうなるの? もやもやしながらも次の業務が襲いかかる。
 疲弊して、路頭に迷う教育現場。根本的な解決を見ないまま新手の方策が権威をもって徘徊する。教職員にゆとりという名の圧力にも似た働き方改革。
 ん!「働き方改革」は文字どおり、「働く者自身が働き方を模索する」方向へと変貌しつつある。「業務の効率化を自分の中で考えなさい。机の整理整頓とか‥‥。」「部活は土日どちらか一日、生徒の疲れや、他の活動を考えて半日(3時間○○分)程度が望ましい。平日については、5日のうち1日は休息日とするように。」 このように部活の負担軽減を推奨してやっているのだから、あとは自分で働き方を考えよ! 業務超過の根本的な原因に触れることなく働き方改革は行っているとする当局の姿勢から、教職員の負担を親身に軽減してくれる気持ちを感じとるのは困難である。結局、他から教職員の働き方を改善してくれる方策は見込めない。「教職員が皆で働き方を考えればいい」そう言われても、それを行ってきた組合は風前の灯火。ましてや職員会議で議論することなど今ではありえない。
 まやかしの中でまやかしが積み上げられて、それにどうすることもできない。たとえ職場の総意であっても、それを反映させる場を奪われてしまっている。つまり職場が骨抜きにさせられてしまったのだ。
 論破してしまえば勝ちだ。論破したら決まり(法律)にしてしまえ、さらに何も言えなくなるさ。懲戒をもって脅せば、おとなしく従うだろう。そうほくそ笑んでいる奴がいる気がしてならない。話は変わるが、香港はまた大変な時期を迎えていますね。恐れず反発する気概があるだけ日本よりましなのかも‥‥。
 ん!「道徳の教科化・評価」についての研修もありました。評価の方法はそれらしくすることができる気がしますよね。PCというブラックボックスの中で何でもできる風にすり替えているのかもかもしれません。一人一人の道徳の評価を、生徒の「キラリ☆ノート」に記述されたものから拾い上げ、PCからみあう例文を選択していく。これをクラスの生徒人数分やるとしたら、その負担はかなりのものと推察できます。所見こそがそれであればいいのに‥‥。併せて書かねばならない事態となれば病んでしまうかもしれない。
 このように知らず知らずのうちに激務化が侵攻しているのです。時間がない。時間が取れない。何で? それは、部活のせいでも何でもなく、我々の業務が「働き方改革」の号令の下日増しに増殖しているからです。

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