Vol.66 支配の構図

 SDGsをはじめ、どんなに素晴らしいものであろうと、その裏に暗躍する「支配」。一握りの支配者のために人や世の中が犠牲をはらう仕組み。支配に汚され理念は変異していく。「ゆとり教育」「総合的な学習の時間」。理念は美しかったかもしれないが、反動という名の非難と変貌。格差は世が推進する施策と現場の間で、間違いなく広がっているのだ。けしかけられて進むGIGAスクール構想。広報などできらびやかな美しき進捗状況を宣伝しているが、現場は苦悩に押しつぶされそうである。
 支配者の論理が支配者にあらじ巷でも手本(指導書)として浸透し、それが是であるように仕向けられる現代社会。教育はそれでも感化されぬ独立した立場から理念・理想を追求すべくあるべきなのに……。
 どれだけの犠牲と我慢を費やす価値のある「支配」なのかと考えた時、その先にある未来が見えないのが現状なのだ。
 今、教育には、自然に自由に柔らかく知性を育てることが必須なのだ。
 児童・生徒が「能動的に学習に取り組む」方策は行われてきたが、その先にある「自ら考える力を養う」には、連結していないのが実状である。生徒からすれば、「考える」ための材料、いわゆる「知識」と、その学び得た知識を自分自身のフィルターを通して応用・展開・活用する、いわゆる「考える」方法を与えられておらず、学び得ていないのである。授業研修会などでは「子どもたちが活動していてよかったです」と、まるでシャンシャン総会のごとく、決まりきった出来レースが行われていれば良しとする風潮がはびこった。ワチャワチャ考えなしに生徒が動いていたとしてもである。
 教育行政も新たな理念を展開する際に、もう少し巷の合点がいく、押し付け、投げ捨てにならぬようにできぬのだろうか。
 希望を描く未来が見えないのが、残念を超えた怒りと化していく。大人にあらず生徒達も未来が見えないのである。個人がカスタマイズできない社会。為政者が支配者がすでにカスタマイズしたものだけを試行する社会。いろいろな粗はみえても、ごり押し通す社会。夢、ないよねぇ‥‥。

          2021.7.14

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