「神様(川上弘美)」について

 三省堂の高校の教科書「高等学校 国語総合 現代文編」に載せられた川上弘美の「神様」という小説。どう捉えたらよいものか考えてみたことがあった。

 「くま」と「わたし」が散歩のようなハイキングのようなことをしている。異次元の話かと思いきや最近引越してきたくまが引越し蕎麦をふるまうなど現実的かつ庶民的な側面を有している。そこで熊に似た人間なのかと思いきや、やはり「くま」であるらしい。この話の真意は何なのだろうと思う人は多くいるはずだ。また、テーマなど考えずに異様な空間を楽しめばいいという人も相当数いるであろう。
 また「神様」というタイトルについては、文中に「熊の神様」とあることをよりどころとして解説されている傾向が高いようだ。

 熊といえば異様なもの、怖いものというのが一般的なとらえ方であろう。熊が隣にいたら毛嫌いするだろうし、恐怖におののくであろう。しかし、考えてみれば、そう思うのは人間の一方的な観念であるにすぎないのだ。隣にウサギがいたとしても恐怖を覚える人は少ないだろうし、ほほえましく思えもするだろう。
 お互いが警戒のない澄んだ心で寄り添えば、穏やかなぬくもりにつつまれるのではないか。固定観念・既成概念によって欠落してしまった人間の愛を私は感じてならない。それはイエス・キリストの教えにある「汝の隣人を愛せよ」と呼応する。神様は人間を見ている。己と同等に他を見つめよと。隣人愛の精神をこの小説に感じとった次第である。世がナチュラルな心で万物に接することが望まれると。神様は常に平等に生きとし生きるものの様子を見ていると。
 人間の論理が自然界の論理ではないことを「~~ではならない」という強硬な形ではなく、柔和な様子で表現したものと思えるのである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です