Vol.57 卒業式・合唱祭

 卒業式がどういう形で行われるのか、未だはっきりしていない。

①昨年度同様の形
 「卒業生と学校職員のみで体育館で、歌を外して行う」(正確には、なぜか君が代と校歌は歌った)
②昨年度に毛の生えた形
 「卒業生と学校職員および保護者(+来賓?)で体育館で歌を外して行う」(もちろん君が代と校歌だけは歌う)‥‥校歌が国歌のダシにされてかわいそう><;
③昨年度に毛の生えた形にウイッグをつけた形
 「卒業生・在校生・学校職員・保護者(+来賓?)で体育館で歌を外して行う」(もちろんコロナ対策のうえ、君が代と校歌だけは歌う)
④一昨年度並みの形態・内容で行う形(ほぼ、従来どおりだが)
 「卒業生・在校生・学校職員・保護者(+来賓?)で体育館で歌も含めて行う」(もちろんコロナ対策のうえ)
 ただし、送る言葉からの流れとなる全体合唱「時の旅人」は現段階では無理かと思われる。なぜなら、在校生が練習してないからである。時間的には、やってやれないことはないのだろうが、今年は、合唱祭が同時期にあるため、音楽の授業だけでとはいかないからだ。
 ほかにも組み合わせとしてのバリエーションはあるだろうが、どのあたりに落ち着くのかが見えてこない。個人的には④の完全形で従来どおり行えることを望んでいるが、③や④のほぼ従来(時の旅人外し)だと、在校生が起立・礼・着席以外の活動場面がないためモチベーションが保てなくなってしまう気がする。
 緊急事態宣言でなく、在校生も学校に来る日の卒業式ならば、在校生をどうするのか?
入学式同様、学校に来させず①②あたりでやるのかね?

 行政の判断を待つより、学校が学校として、何をどうするかを考える機会を持つべきである。

 合唱祭はどうなるのか? 卒業式を①②あたりでやる中で、合唱祭は普通に歌わせるのは、整合性がとれないでしょう。逆に合唱祭を普通に行えるのであれば、卒業式が①②③であるのは、おかしなわけで‥‥。
 ねじれ絡まり、疎通不能な職場となって膨張していくかに見える。

 言えることは、子供の可能性を絶っては絶対ならないということだ。これが最低限の条件である。体裁のため、やったということを残すためだけといった大人目線で取り決めるのではなく、子供たちが残したかったものや思いを披露できる場として、気概あるものとして存続していってほしいものである。

 3年生は思いが強いと思う。せめて彼らが歌えるように取り計らえないものだろうか?
       
 「思い」があって人は動かされるもの。「思い」が見えない中で、どうするか決めるのは危険極まりない。「思い」→「方策」→「結果」となるよう、誤解が生じることが無いよう、見通しよく意見を交わせる場が今必要かと思われる。   2020.12.3

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