新しい博物学の時代 本文プリント

「新しい博物学」の時代
                        池 内  了

 わたしは、数年前から、「新しい博物学」という学問分野ができないものかと考えています。
 博物学とは、動物や植物、鉱物などの自然物を多数収集し、共通した性質や異なった要素によって分類したうえで、物質のありようの法則性を探ることを目的とした総合的な学問です。十七世紀から十九世紀にかけて大いに流行しました。やがて、生物学、地質学、天文学などさまざまな科学の分野が、博物学から独立しました。さらに、生物学から動物学、植物学が分かれ、動物学から魚類学、昆虫学、哺乳類学など、動物の種類ごとの分野が分かれ……、というふうに、専門分化がどんどん進んでいきました。今や、博物学から発展した科学は、深いけれど狭い多数の専門分野の集まりになってしまったのです。 
 現代の科学者は、実験や観測データを信頼するあまり、自分のイメージを膨らませたり、古代の人々の知恵に学んだりすることをあまり重視しなくなってきています。科学の専門分化に並行するかのように、数学・自然科学などの理科系の分野と哲学・歴史学・文学などの文科系の分野とが遠く離れ、同じ自然物を対象にしていても、全く異なる発想でとらえるようになってきています。その結果、理科系の知識が文科系の分野に生かされず、文科系の知恵も理科系の分野に使われることがなくなってしまったのです。人類の長い歴史の中で培われてきた文化が、理科系と文科系に分断されている、というわけです。それでは、せっかく得られた人類の叡智はばらばらのままです。
 そこで、「新しい博物学」として、科学者の目で、古代から書き残されてきたさまざまな文章を見直したり、民俗や芸術の世界を、科学と結び合わせてとらえ直してみたりする必要があると考えました。理科系と文科系の壁を取り払って、総合的な観点で事物を見直したとき、思いがけない結びつきを発見することができるからです。
 かに星雲は、おうし座ゼータ星の近くにある、熱いガスの塊が多数群れている星雲です。望遠鏡で見ると、星雲の形が、かにの甲羅の形に似ているので、かに星雲と呼ばれています。大きな望遠鏡で詳しく観測すると、強い光が筋状に走っており、その光は激しいエネルギー放出が起こっているために発生していると考えられています。
 年を隔てて撮った写真を詳しく調べると、かに星雲は高速度で膨脹していることがわかります。これは、かに星雲が超新星爆発の残骸であるためだと推定されています。爆発で誕生したガスやちりのようなものが膨脹し続けているのです。では、この超新星爆発はいつ起こったのでしょうか。星雲の膨脹速度をもとにして計算してみますと、約九〇〇年前だろうという結果が出ました。しかし、現代天文学の最新の技術と知識を導入しても、爆発が起きた年を正確に割り出すことは不可能でした。
 この問いに示唆を与えてくれる文書が、ある日本人のアマチュア天文家によって指摘されました。「小倉百人一首」の編者として有名な藤原 定家の日記『明月記』です。定家がそれを書き始めたのは一一八〇(治承四)年で、十九歳のときでした。以来定家は、五十六年間書き続けた日記のいたるところで、さまざまな天文現象を書き留めています。そして、自分が見たこととともに、それと同じような天文現象が過去になかったかどうかを丁寧に調べて、書きつけているのです。定家は著名な歌人ですが、朝廷の役人が本職であり、前例を調べるのが習慣となっていたようです。
 一二三〇(寛喜二)年十月二十八日、客星(訪れ、去っていく客のように、一時的に輝く星や彗星のこと)の出現を目撃した定家は、その様子を毎日のように詳しく日記に書きつけるとともに、過去の文献を読んで前例がないかどうかを調べました。『明月記』の十一月八日の項には、過去の客星の出現例が八例載っています。
 次の文章は、その出現例の一つです。

後冷泉院の天喜二年四月中旬以後、丑の時客星が觜參の度に出づ。
東方に見はれ、天関星に孛す。
大きさ歳星の如し。

後冷泉帝在位の天喜二(一〇五四)年四月中旬以後に、深夜二時ごろ、新しい星がオリオン座の方向に出現した。
東の方向に現れて、おうし座ゼータ星近くで明るく輝いた。
大きさは木星くらいである。

 この記録に表された星の位置は、かに星雲の位置とぴたりと一致しました。さらに、一〇五四(天喜二)年は、かに星雲の超新星爆発が起きたと推定される時期とも一致します。定家の記録と最新の技術とを合わせることによって、超新星爆発が起こった年が一〇五四年というように決定できたのです。
 ならばと、世界じゅうの天文学者によって、定家が記録した他の例も調べられました。その結果、一〇〇六(寛弘三)年のおおかみ座の超新星爆発と一一八一(養和元)年のカシオペヤ座の超新星爆発も、定家の記録と一致することがわかりました。さらに、現代では、定家によってもたらされた明るさやその時間変化の克明な記録から、爆発した星のタイプや重さも割り出せるようになりました。
 以来、天文学者は、中国や日本の古典を調べて、天文現象の記録を調べるようになりました。例えば、有名なハリー彗星は、イギリスのエドモンド=ハリーが発見し、さらにその周期を計算して有名になったものです。しかし、過去の記録を調べていくと、紀元前二四〇(秦始皇七)年、中国の歴史書である『史記』に彗星が目撃された記録があります。また、日本では、紀元六八四(天武十三)年、『日本書紀』に彗星を目撃した記録があります。いずれも、ハリー彗星の周期をあてはめることによって、確かに、これらの記録はハリー彗星についてのものであると断言できるのです。現代では、これら数多くの記録から、ハリー彗星の、より詳しい周期や軌道の変化が計算で得られるようになってきています。
 ここまで、人間が書き残してきたものと天文学が結びつく例を見てきました。逆に、天体現象を人間が書き残したものに生かした例もあります。文学作品でいうと、イギリスの劇作家シェークスピアは、『ハムレット』の中で、「彗星の出現」と「シーザーの暗殺」を重ね合わせて描き、今後のハムレットの身の上に起こる悲劇を予告しています。シェークスピアは、他の劇にも、苦悩や狂気の象徴として、天体現象を数多く使っており、登場人物の運命を効果的に暗示するのに成功しています。このように、文学の知の遺産を天文学が利用したり、逆に天体現象を文学作品に生かした例は数多くあります。
 天文学だけにとどまらず、また文学だけにとどまらず、広く文科系と理科系の知を結びつけると、長い歴史の中で人類が獲得してきた叡智を、さまざまな学問分野に生かすことができるでしょう。そのような作業を通じて、幅広い視野で、人類の営みを見直すのが「新しい博物学」の目的なのです。

※ 客星=常には見えず、一時的に現れる星。彗星(すいせい)や新星など。
※ 觜參=觜宿・参宿のこと。あわせてオリオン座付近ということ
※ 天関星=おうし座ゼータ星のこと
※ 歳星=木星

M1 が かに星雲

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