Vol.40 「ブラッドレーの請求書」から

ブラッドレーの請求書

 道徳の研修会がありました。研究協議のところで講師の先生が、「ブラッドレーの請求書」という題材を持ち出しましたね。大変いい内容の教材で、小学校低学年で使われているとのことでした。  はたと思った方はいませんか?

 道徳という教科の授業でやるのだと。

 母親からブラッドレーへ返した「お母さんからの請求書」に記された数々の「0ドル」に、自分のよこしまな醜い心がうきぼりになります。

 ある意味これが人間世界の日常であるのです。

 我々教師は、道徳の授業以外でも生徒と触れ合うことが当たり前なのですから、とても感覚的な事柄かもしれませんが、授業といったテーブルでなくとも子供の情操を育てる機会はたくさんあるはずです。

 ブラッドレーの母親のように、それとなく子供が自分を見つめなおす機会を与えることは、今日の社会において必要なことでしょう。しかるに昨今の親の中でこれができる人がどれだけいるでしょう。親もみんな忙しく世知がないのです。だから、教員は子供の心のひだに触れる必要があるのです。ブラッドレーの母親の代わりとなって理屈の説諭ではない情操の開拓をしなくてはならないのです。

 ブラッドレー君は、お母さんの言わんとしたことをしっかりと受け止められた「よいこ」です。おそらく、そういう育て方を常々してきたから理解しえたのでしょう。現実の子供の中には、こういった経験もなく、理解できない子供もたくさんいます。だから、そういった子供に対して授業云々を度外視にして触れ合って、何回も何回もそういった場面を作ってあげなければ、子供は理解しません。机上、紙上で解決できないものを、どれだけ根気よく教師が、そして大人が、そして社会が、寄り添い取り組むことが求められると思います。  情操を育てるのは道徳という教科だけではない。

 「そういうことは、『道徳』という教科の授業で教えればいいんでしょ!」とつぶやく声が聞こえる。

 違う!事件は現場で起きているんだ。

 現代の教育現場にあって、もし、教師がブラッドレーの母親と同じことをしたとして想像するときに、「0円」を全く意に介さない生徒だった場合、「何で『0円』としたことをわかないのよ!」って叱っている様子が浮かんできてしまう。無理に教え込んでも間違いをもたらすだけ。時間をかけて、子供の心の中にあたたかいひらめきが訪れるまで我慢してあげることも必要でしょう。たしかに待ったなしの悠長な教育という現場でないのはわかってますが‥‥。だからこそ、だからこそ、だからこそ‥‥。

 すてきな切り返しに子供が心を揺らす。そんなあたりまえの日常が本当の教育の大切なところだと思います。「法律」とか「基準」とか「道徳」とか、定義される以前の「心」をくみ取り育てることなのです。 

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