Vol.11 我々の使命をもう一度見直さないか!

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教育基本法 前文
 我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。
 我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。
 ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。
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 企業の論理にのみこまれ、真理と正義を希求する精神の欠片さえも見当たらない教育現場。ここに活きた人間の営みが存在するとは思えない。
 頑固者と思われるだろうが、「自分が理解しえない、想像できない、しっくりこないこと」をいくら言われてもわからんものはわからんのですよ。だからいつも「で?」「それが何なの?」って思ってしまう。その「ぐらぐらしたなんのリアリティも感じさせぬ茶番の論理」が降るわ降るわの大合唱;><。 頭上高くまで覆っていて、解かれることは一切ない。

 俳句の授業をしていて思うことがあった。

飛び込みのもう真っ白な泡の中 神野紗希

という句をやっていて、教師用教科書には(飛び込み台から、水面めがけてジャンプしたと思ったら、一瞬で着水し、あっという間にもう白い泡の中だったよ。)という解説が載っている。生徒に聞いてみると、「自分がプールに飛び込んだと思ったらもうプクプクと湧く泡の中にいた」という句だと答えてくれた。なるほど、教師用教科書の解説と同じなんだなぁ。まぁそれでいいかとは思ったのではあったが‥‥。じじいの頑固さがもたげてきてしまう。それでも、神野紗希という作者は1983年生まれの私よりも25歳も若い人ではないか、その世代の感覚でそうであるならとやかく言うことではないのだろうと思いなおしてもみる。しかし、わからぬものは、わからんのだ。理解できぬ感覚を理解しようとしても無理なのである。
 この句で引っかかるところは「もう真っ白な」で、「飛び込んだ本人が『もう真っ白だ』って感じるのかい!」って突っ込んでしまう自分がいるのだ。自分自身が飛び込んだとして「もう真っ白だ」なんて感想を持ちやしない。自分が感じえないものを納得するわけにいかないのだ。だから、ついつい生徒に言ってしまう。「先生はどうしても納得がいかないんだ。先生が納得のいく形で想像すると高飛び込みの競技で選手が、見事な演技で着水もきめた。その演技を固唾をのんで見ていた様子ならわかるんだけど。」と。「もう」もわかる気がするし、見事な着水ゆえにしぶきも上がらず、泡だけが上がってくる様子と想像できる。であれば、「飛び込み(夏の季語)」と併せて、見事に決めた演技からくる「爽快感」を現わしたものだと道筋が立つ。自分がとびこんで「もう泡の中にいた」では、「だから、なにを表現したかったの?」と疑問が連鎖してしまう。
 そんなどうでもいいかもしれないことだけれども、真理を追究しないではいられない。現在の学校現場には、そんな「それでいいのか、それが真実なのか」というものがあふれ出している。ジェネレーションギャップを埋めるすべはあるのか、感覚を教育の中でよそ者でなく関連付けて活かす道はあるのか、アゲインストの風を感じるこの頃である。

白髪レガシーVol.11 PDF