「故郷」魯迅 と 日本 と コロナ

故郷 魯迅 で 伝えるもの

 この次に「故郷」を教えるとき、生徒たちに何を伝えてあげればよいか考えてみた。
 「むだの積み重ねで魂をすり減らす生活」でも、「打ちひしがれて心が麻痺する生活」でも、「やけを起こして野放図に走る生活」でもない「新しい生活」を望んだ魯迅。2021年1月の現在、日本の世は格差社会にあり、かつての中国のそれらと似ているところもあるだろう。希望が見えてこない現世にコロナ禍という寒風が拍車をかける。ひとつ懸念されることがある。魯迅のいうところの「新しい生活」がコロナ禍で唱えられた「新しい生活様式」とかぶって受け取られてしまいかねないのではないかということである。がぶってしまうことが悪いわけではないが、かぶる部分とかぶってはならない部分を取捨選択しなくてはいけないと思うのだ。
 人の思いがうねりとなって世の中が善き方角へ向かう前向きさのある「新しい生活」であればいいのだが、締めること自粛すること我慢することを前提とする「新しい生活様式」とでは全く違うものであるからだ。生徒が苦しみを知る一助として自らに課せられたコロナ禍の現状を懐くことは致し方ない。ただ、魯迅のそれとは質が違うものであるため体現できるものではないことを理解できるかが問題である。
 子供たちにつないでいかねばならない理念とは何か。平穏で人のぬくもりのある平等な社会であると思う。甘っちょろい理想と言う人もいるかもしれない。しかし、理想を説かずして、現実の混沌とした社会を享受させることを強いるばかりでは、理想の実現はおぼつかない。どうにもならないというあきらめに似た疲弊感がコロナとは違う本線に必ずや存在しているはずだ。世界のいたる所で、時代時代の脈絡にこびりつくかのようにはびこる支配と圧政。今回はコロナを利用して新しい生活様式という悪しき縛りの補佐にするかのようにそれは見える。人々のマインドが混沌としておぼつかなくなる方向へ誘導されている。
 学校で汚れに満ちた世の規準を是として教えるのはあまりに辛い。のびのびと安心感のある生活空間が自然と存在すればいい。しかるに上位の者が凌駕していく形態ばかりを是とする姿として教唆しているとしか思えない。「何かを変える力」は理想にむけて前を向くことであると思う。人の心が変わらなければ進むべき方向を定められない。あきらめとは対角にある希望を多くの人が持ってこそ実現に向けて踏み出せるのであろう。そんなことしたって睨まれるだけで何の得にもならないという大人の指向が、未来への希望を打ち砕いている気がしてならないのだ。
 今の中国は魯迅の望んだ中国なのか、違うはずだ。経済面の改革進歩はあったが、精神の開かれたそれとはきっとほど遠いに違いない。「故郷」を教える中で私自身も焦点のぼやけた読み取りをずっとしてきていたように思う。生徒からすれば、「中国の昔の話でしょ。そうだったんですか。でも僕たちにはあまり関係ないですよね。」といったところに落ち着いてしまう。希望どころか危機でさえも、共有しようとする精神が欠落しかかっているのだ。「誰かが何とかするんでしょ。偉い人がやってくれればいいじゃん。」と、他人任せな言動が出てきてしまう。とどのつまり「故郷」をやった意味はなくなってしまうのである。これを何回繰り返してきたことか‥‥。
 政治体制がどうであろうと、より良い世界を希望する精神を失ってはならない。誰もがおのれだけを見てあちらこちら異なるベクトルを示して、寄り添うことをしないのであれば道は開かれず、あばたの荒れ地と化すであろう。
 「屋根には一面に枯れ草のやれ茎が、折からの風になびいて、この古い家が持ち主を変えるほかなかった理由を説き明かし顔である。」魯迅は精神のよりどころであった故郷にすさんだ世を見たように、現代の日本の世にも浮かび上がる荒れすさんだ精神として受け取るべきであろう。本当の意味での精神の連帯を求めなければなるまい。コロナ禍で人々に「連帯」というカードをすでにきってしまっている以上、人々は次におろされるだろう「連帯」には疑問を持ってしまうことも多かろう。間違いのない、その場しのぎではない前向きな連帯であることを願うばかりである。一般庶民の連帯という協力に頼るしかない状況下で、未だに得する方策を考えるようであってはならないのだ。そのためには「連帯」すべき指針をはっきりさせなくてはならない。なんとなく連帯ではだめなのだ。うやむやな連帯は後に汚点を残す。世の中を改新するというのはそういうことなのだと思う。政党のためとか、経済のためとかではなく、政治も庶民同様の連帯が望まれている。
 その時代に苦しむ人々がいた。その時代を生きた魯迅がいた。国民党との闘争の中で、中国共産党にとって都合よく遣われたことは否めない。新しく中華人民共和国として生まれ変わった中国ではあったが、またしても魯迅の望む精神の解放には向かわなかったようだ。 

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