「春浅き・・・」の句 について

春浅き水を渡るや鷺一つ   河東碧梧桐

かつて、中学校の教科書に載せられていて、別段、不思議にも思わず、教えていた句であるが、yahoo知恵袋の回答で

掲載の句は、基本的な写生の句で、早春に雪解けの水で増水しや
や濁っているため、底がよく見えない川を、細い足の鷺がたった一羽
歩いて渡っていく情景を詠んだもので、自分の境遇と鷺とを重ね合わ
せているように思います。

と、あったのを見て、「へぇ、そうなのか。」と思い、書いてみます。

もっと単純に捉えて、「早春の雪解け水の冷たい川を渡る一羽の鷺、捕食のため、一歩一歩をストップモーションのように片足をあげて、抜き足差し足で進む(鷺のあたりまえの)しぐさが、まるで水の冷たさを感じているかのように表現した」と教えていた。句の面白みや情感がその方が伝えられるからだ。

もちろん、作者の孤独やさみしさを感じ取ることは重要だろうし、かたや、早春の爽やかな句ととらえる人もいる中で、この句の抑えどころとなれば、鷺のしぐさを想像することだと考えるが、みなさんはどう思いますか?

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です