Vol.45 緊急事態宣言

緊急事態宣言(非常事態宣言)

 特措法改正の中で、見え隠れする思惑。  最終的には「経済」が持ちこたえ、「よかった」とされれば、成果とみなす昨今の情勢。そう、見ている先は「経済」であって、人ではないのである。文化でも情緒でもなく、儲けて繁栄することをゴールとしている。

 カジノ法案(IR推進法)にしろ、外国人にお金を落としてもらう、インバウンド効果が狙いの中心であり、富裕層をのぞく一般の国民にとっては縁のないものになるだろう。国や地方都市の経済が潤うかどうかが第一義であって、一般の人々にむけては、「二次的・三次的なおこぼれも期待できるでしょ。」と言いかねない状況だ。

 そう! この状況こそが、我が国の「緊急事態」だと思う。

 「復興五輪」 魂の抜けたこの言葉に違和感を覚えて仕方ない。

 阪神淡路大震災の年、オリックスの選手はユニホームの右袖に「がんばろうKOBE」の章を付けて戦い、リーグ優勝を果たした。東日本大震災では楽天の選手がユニホームの袖に「がんばろう東北」の章を付けて戦った。大変失礼ではあるが、この言葉は、「がんばろうKOBE」があったからこその「がんばろう東北」というスローガンであり、二番煎じを拭うことはできなかったように思う。言葉が先行し、実情が追い付かないことをあらわにしたように思えてならないのだ。「がんばろうKOBE」にはあった純粋な「被災された地域の人も選手もともに前を向いて進もう」という意識。その意識が復興にも選手の頑張りにも活きていたと思われる。「何ができるわけではないけど応援するよ。」「精神面で支えるよ。」というソフトの力が強くあったとも思う。

 形骸化の波の中、最近の状況は先行する言葉に被災者達も「もっと、がんばれよ」と迫られる感がある。言葉が新たな示唆する何かを持ってしまったようだ。また、この言葉を利用しようとする輩もあらわれかねない。

 「大事にすべきもの」を何とするか、現代社会は問われている。今のところ、10馬身ぶっちぎって「ケイザイ」が先頭。ものの良し悪し(価値)を計る尺度(スケール)は「経済=金」に統一されつつある。

「○○なら損益を抑えて、△△億円の利益・成長がみこめるから良し。」「××だと志は素晴らしいが、利益を見込めず逆に損益をもたらす恐れがあるため良くない。」というふうに。

 唯一の原爆被爆国である日本が、核廃絶に手を挙げられないのも、経済的な価値がまったくないからでもあろう。「核爆弾廃絶!」と叫んだとしたって一銭にもならないし、逆にアメリカから煙たがられたり、敵国から攻撃されるリスクを背負うため経済が低迷してしまうと。関心事は経済。経済がすべての価値の尺度として君臨していく。事件・事故等の事象は○億円の損害、○人の被害者と明示化できるものに変えられてしまい、思いや精神は風化する運命をたどる。「復興五輪」って何?何のため?福島から聖火リレーを始める。何で?復興五輪だから?福島はこんなに復興しましたと見せるため?まさかねぇ><;。逆に原発は汚染水飽和の状態ですと知らせるため?。「復興五輪」というわけのわからぬ経済にまみれた感のあるそいつは、初志を取り戻すことができるのであろうか。

 経済が最優先事項!?

 経済によって切り捨てられていく人の文化。ひやりと冷たく感じてしまうのは、わたしだけですか?

 「経済」を最優先に考えるのは大正の時代もそうだったんですかねぇ?宮沢賢治さん。      2020.3.12

白髪レガシー Vol.45 PDF