Vol.22 国語の未来を‥‥道徳の未来を‥‥

国語の未来を‥‥道徳の未来を‥‥

 国語の授業をする中で最近強く感じたことを、生徒にも訴えてみた。

 文章、文字。それは、記号化された無機質なもの。そしてそれは、固く凝縮された冷凍食品。
 彼ら(生徒達)の多くは、それを前にして、硬いままそれを食らう。味もそっけもない。匂いすらない。それでも彼らはそれを食し、味わったとするのだろう。
 なにゆえ解凍しないのか?レンヂでチンと急速解凍するでなく、自然解凍するべきだ。さすれば匂いも味も戻ってくる。よしんば解凍したものに、自分で調味料を加えて調理すればいい。でも、それができない‥‥‥。味気ない‥‥‥。
 情景も心情もない文学を、言葉の記号だけが浮遊する意識世界を打破するために、何が必要なのだろう。小さい頃の「読み聞かせ」が足りないのかもかもしれない。想像し感じる心が欠落している。また、経験という調味料を加えた創造する力も欠けている。
 まずはとにかく融かして展開しよう。そして背景を登場人物を動かそう。それから思いを感じ取ろう。有機化するはそこにあり!

 人生を豊かなものにしたいと願う思いが、歌や舞、絵画を生み出してきた。そしてそこには他を排除して成すものなどという発想などありはしない。情緒の花がそこかしこに咲き、そこはかとなく匂いたつ営みに身を置きたいものだ。
 昨今の風潮はと言えば、仕事は辛くて当たり前。仕事に楽しみを求めるなんて言語道断。そんな声だけ聞こえてくる。これでは、未来に希望を持って生きられる社会の土台がなってないじゃないか。子供たちにそう教えるのかい。仕事だろうが、家庭だろうが、余暇だろうが、生きている中に自然に浮遊する楽しみという名の情緒こそ失ってはならぬものと強く思う。
 道徳も同じだ。言葉やシステムでとやかく講じたにしろ、匂いたたない道徳ならば悪影響を与えるだけだ。自然に誰もが、心のひだに触れるものから産み出されてほしい。言葉ありき、理屈ありき、箱ものありきの型板でしかものを見なくなった現代に、潤いのある味のある情緒のある未来を築きたい。

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