Vol.65 神様の誤算!?

 神様は見ていた。子供たちが己の心根にある邪悪な欠片を吐露するさまを。
「ああ、また始まっちゃったよ。いつになったら気付くのかねぇ。もうちょっと大人になろうよ。」
 神様はそう思いつつも、子供たちに声はかけなかった。なぜなら、いつか気付くと信じていたからだ。子供たちは成人する過程で、ものの善し悪しを、そしてどうあることが自然で心地よいのかを学ぶはずであると。その浄化の循環の中に未来が築かれていくものだと。世相や事件、苦情のたぐいを見るにつけ、神様はそう見てくれている、我々に立ち直りの機会を残していると強く思う自分があった。
 まるで蜘蛛の糸のカンダタの所業を見るお釈迦様の様子と符合する。まるで禁断の果実を口にするアダムとイブを見る神の様子と符合する。下界という現実世界に落とされうごめくこの世に存在するカンダタやアダムやわたしやあなた、そして子供たち。
 神様は誤算しているのか、していないのか。この混沌として定まらぬ社会は、神の想定内の出来事なのか?想定を外れた誤算なのか?つらつらと川辺を歩き、白い鷺と黒い鵜が微妙な緊張感で戯れる川面を眺めつつ、カラスが騒ぐ頭上を睨みつつ、春をどう迎えられるのか思案に暮れる昼下がりであった。

 苦情が入りました。橋の上流側の歩道を生徒が登校途中広がって歩いており、それが何グループもあって、歩行者や自転車の通行の妨げとなっていて毎日迷惑しているとのことです。十中八九自転車乗りの発想であり、しかも南へ向かう様子とうかがえるので、橋の右側を走っており、その先に生徒の背中があったと見える。そもそも歩道を走っているわけだが、サイクルロードが右岸から左岸にかわる際の橋の歩道の扱いやら年配者(65歳以上)の 場合やらと言い分もあるだろう。ま、そんな論争に終始するより、お互いが目くじら立てずに、責任の在りかを求めず(責任の押し付け合いをせず)
に地域でマナーを教える寛容さがあってもいいと思う次第です。

  • 騒々しさはどこの世界でも継続中 –
     「Vol.1 空き地に土管のある風景」の様相が今も続いてます。  2021.2.9

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