権力に萎縮する人の世(考えない構図)2020.12.31

 不穏な雲が世界を覆う。アメリカ、ロシア、中国の三国の共通点は、権力者が自己の権力を存続し、かつ強靭なものにしようとするところである。米国は大統領は代わるが、訴追されないよう現段階で恩赦されるよう画策したり、ロシアは大統領の任期年限を大幅に延ばしたり、中国は中央集権を確たるものとする故で香港の民主主義を潰しにかかる。ISIL(イスラム過激派)も同様ではあろうが、世界の悪役というレッテルのもとに強国は案じて、これを隠れ蓑とし、強行を施している感がある。つまり世界の流れが専制政治を擁護するかの様相である。もちろん日本もこの流れの中にある。トップダウンが常套となってしまった社会構造にそれは見える。体制批判をすることは罪とされたり、降格・失職を負うこととなる恐れを抱かせるよう仕向ける。保険や証券・銀行はIT化が進み、人件費を抑える利点はある反面、マンパワー(働き手)が必要なくなる。多くの契約業務は消費者本人が行うという形へとなっていく。セルフという聞こえのよいガソリンスタンドよろしく店舗窓口での従業員の業務対応・処理はほそり、産業の展望はIT化・AI化の名のもとに人を必要としない方向へと進む。人を削減することにより生き残りをかける業界の指向。仕事に就けない失業者・未就業者が増えることは必至である。
 コロナ感染防止の到達点は、庶民がセルフで頑張りぬくことに尽きるということを政策としているに過ぎない。「わかるよ」「わかるけどでもねぇ」「『欲しがりません勝つまでは』の精神で我慢を強いるには限界があるよね」と心の声が漏れ出ている。
 所詮庶民は上位者の意にそぐうべく忖度しつつ働き、不条理・理不尽という辛さを背負う運命に終始しろということなのか。上位から言えば弱い者いじめが、下位から言えば不条理を粛々とセルフで何とかして受け入れることが「新しい生活様式」であり「働き方改革」ということなのか。
 世の中のうねりが人の生活に浸透してきていると感じる。人が考えないで済む世の中、人が働かないで済む世の中へと。

hirorin について

東京で中学の国語教師をしていました。
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