Vol.14 修学旅行を終えて

 「Vol.7未完全な世界」でも述べたが、楽しみと喜びを生活の中に求めること、つまり生き甲斐・やりがいが働く中にもあったっていいじゃないか!

 3年生は修学旅行を終え、その時の様子を学年通信「One for all, All for one」で紹介した。宿舎で「修学旅行楽しんでいる人~」というN先生のなげかけに「は~い!」と答える生徒たちの楽しげな様子。写真も載せられ吹き出しはうきうきした雲で抜かれていた。 
 

     こんな感じだったかなぁ。

      楽しんでいる人~

は~い

 印刷前の検閲で引っかかった!!
「雲ふきだしはダメ」
「生徒の返事は、は~いではなく『はい』」
 だって‥‥。

 そんな小さなこと気にしなきゃいいんだよって思う人もいるでしょう。そんなの言われた通り普通のふきだしで「ハイ!」にすれば済むことと。しかし、ここには大きな問題があると思います。
 N先生は厳しい先生ですが、誰よりも空間に生まれる楽しみごとを大切にする先生です。年がら年中鞭ふって生徒を抑えつけているわけないのは誰だって知ってますよね。親だって知っいるでしょう。生徒だってきまりをまもりつつも、その中で修学旅行を楽しもうとしているわけです。同じ空間にい」ながら、教員はしかめっ面で厳格に指導に当たれとでもいうのでしょうか?
 訂正される前が真実であり、その時の生徒、先生の様子が目に浮かぶはずです。

 公に外に出す文書は、真相を偽ってまで厳格かつ「らしくあらねばならぬ」のか!? 空気を伝えることはもはや無理であるのか!
 通信を編集したT教諭も「この空気感」に教育たるものの何かを感じ得たからこそ、その空気を表さんとそうしたに違いないのであろうに‥‥。

 こうして、教育にむける情熱は少しずつ削り取られていく。少なくとも一日の1/3は学校という空間で教師も生徒も生活しているのだ。そこに人間としての喜びを求めることはならぬのか。「楽しみたいなら、他でやれ」「プライベートで楽しみごとを見つけなさい」「そもそも仕事というのは、つらく苦しいものであって、楽しいものではないのだから」 そんな声がこだましている現状。それが当たり前になってきている現状。

 偽りのすがたを公にしてまで、守る価値が今の教育にあるとは思えない。
私の頭の中でこだまするーーーーー
「個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し‥‥」
 どこへ向かっていくのでしょう?

白髪レガシーVol.14 PDF