走れメロスについて

 よく言われてはいることだが、「走れメロス」のテーマは、「信ずることの大切さ」や「友情の美しさ」ではないだろう。2年生の教材で扱う以上、生徒に甘っちょろいテーマで、納得させるわけにもいかない。

 左に記したのは、太宰の「走れメロス」の元となったシラーの散文詩「人質」である。

 太宰の「走れメロス」創作の発端として、Wikipedia では次のように記されている。
 「飲み代や宿代も溜まってきたところで太宰は、檀に宿の人質(宿賃のかたに身代わりになって宿にとどまる事)となって待っていてくれと説得し、東京にいる井伏鱒二のところに借金をしに行ってしまう。」
 これが、「走れメロス」創作の発端だったかもしれないが、「走れメロス」のテーマとはなりえない。

 「走れメロス」がパクりではなく、文学作品と見るためには、やはり、シラーの詩との比較を試みなくてはならないだろう。

◇―「走れメロス」にあって、「人質」にないもの】―
 ①「竹馬の友との殴り合いの件」
 ②「緋のマントを捧げる少女の件(エンディング)」

 ①を取り上げた際には、友情の堅さや人を疑うことの醜さなどといった解釈があがっては来よう。
 ②の「勇者は、ひどく赤面した。」でしめくくられるこのエンディングの場面は完全なる太宰の創作であり、作品の主題を映す重要なところと考えられる。

 メロスを赤面させたのはなぜなのか?という問いかけを生徒に試みる。しかし、なかなか意見としてあがってくることは少ない。教師側としては、何とか「普通の人間」といった言葉を期待してはいるが・・・・。
 メロスはヒーロー・超人ではなく、はずかしさを感ずるどこにでもいる普通の人間。手のとどかない偉人を身近な世界に下ろす役割と言えよう。そこには、おそらく太宰の願望がこもっていたに違いない。こんな馬鹿正直で純粋な男がこの世界にいてもいいのではないか、と。絵空事の世界でのみ活躍するヒーローが身近なところに、手のとどくところにいてほしいし、それを許せる世の中であってほしいと・・・・。

 「超人」→「人間」

 フィクションの中に纏われたうるおいや味わいや感傷を現実社会に生きる我々が、「それは、物語の中だけのこと」と達観
ぶった受け止め方をしてしまいがちではないか。そんな気さえしてくるのである。

ダウンロードはこちら⇒ hashiremerosu_kou.pdf

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