Vol.12 50歳代ならわかること

50歳代ならわかること

 学校に警察を入れない時代から、警察と連携する時代、警察と密接に関わりあう時代へと変わってきた教育現場。それが何だと言われればそれまでの事だが、マット圧死事件を含む様々ないじめ関連事件、大阪教育大学附属池田小で起きた事件、酒鬼薔薇事件、幼児虐待事件など学校を震撼とさせるニュースの数々が舵を変えたのは否めない。

 本校の三年が線路に侵入、通報を受け調査したところ4名の生徒が浮かびあがった。後日、学年主任は学年集会にて苦渋の言い渡しをすることとなる。「今回の件に関わった者は、推薦など進路にむけ選択の幅が相当せばまった。法を侵す行為をしたということはそういうことにつながる。」と。
 悲しいです。2年間ここまで育てたと思っていた生徒がしでかしまったこと? いやいや、わたしにとっては、そう言わざるを得ない状況に立たされた主任○○さんの心情がです。
 
 誰かがしでかしたことを、いい言葉で言えば教訓として、悪い言葉で言えば見せしめ(いけにえ)として、一般生徒に流布し、知らしめる手法。もちろんわれわれ年配だってやってきましたし、それが一方的に悪い手法だとは思いません。 しかし、現代は確実にそこへたどり着く流れしか存在していない。それがはっとするところなのです。
 こうなったらこうなってしまうよ。抑制・圧制するかたちでの指導が一般化しているのに恐ろしさを感じています。笑い飛ばせる前例としてではなく、重い十字架を背負わせる形の指導が当たり前になってきています。トイレで何かあれば、使用禁止となる。つまり、報いをうけさせて、事の良し悪しの判断を迫るのです。
 それが一般的だし、当たり前と思っている先生方も多いと思います。
 でも、教育現場にいる我々自体が生徒と同じ状況にあることを感じませんか。
 「学校から自分の書類を管理職に無断で持ち出し紛失事件。これは、戒告では済まされなく職を失うかもしれないと言われている。」とこの前話にありましたよね。主幹の生活指導主任が「職務の危機管理」について話す場面もありましたよね。学期の終わりには必ず、「○○により減給3か月」やら「懲戒免職」やら、ここ十年ぐらい前から始まりましたよね。
 ~~しないために。~~させないために。封ずるための指針が示される。そこには生産性のある活きたものは存在しない。そして、「これでいいのかなぁ」「これしかないよなぁ」という思いをため込んだままやがて浸透していってしまう。
 われわれ教師が受けている指導という名の圧力は、個人の前向きに考えようとする心を奪っていく。同じく子供たちが受けている指導という名の圧力は子供たちの考えんとする力を奪っていく。

 この流れは、やがて道徳の教科化と間違いなく深く結びつき、より堅固なものとなっていくことだろう。消化、消去の右下がりの教育が希望と生産性に満ちた右上がりの教育を完全に凌駕し駆逐していく。ものの本質・真髄を見ずに形式化いや形骸化した中で道徳も志の見えぬものとして利用されていくのだろう。

 「空き地に土管のある風景」を書いてから、2年。 たった2年だけれど、2年の間に進んでしまったことはたくさんあった。「責任」を意識して萎縮する方向へむかう教育に歯止めをかけたかったのだが、事態はより深刻になっている。

人間の弱さを映す鏡かな
        道徳

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