Vol.58 味気ない未来

 勉強がつまらない、勉強が面白くないという生徒から見た学校。働く意義(やりがい)が見いだせない教師から見た学校職場。
 生きがい・やりがい といった報酬や出世とは無関係のところにある潤いを帯びたものに価値を持つことが困難になった現代。合理性志向のそれは、「あきらめ」ののちにつまらなくも、癒されることのない世界を構築していく。
 高校時代に「こころ」や「檸檬」、「羅生門」、「舞姫」など名だたる文学作品を学習した覚えのある人も多かろう。高校では国語が2年次より選択制となり、「論理国語」または「文学国語」のどちらかを選ぶこととなる。大学入試をにらむ中で、多くの生徒が入試で出題されやすい「論理国語」を選ぶこととなるだろう。レポートすら書けない大学生を見かねて登場した「論理国語」かとも受け取れる。
 より良く豊かに生きるために欠かせないのは、人間の思いであり、そこからあふれ出る味わいという名の情緒である。文学や芸術を学んだって、何の得にも利益にもならないかもしれない。しかし、だからこそ神聖なほどに純粋で美しいのである。汚れた世界で、自らもいつの間にか汚れて、生きがいもなくつまらなく生きていくよりかは、はるかにましだ。しかし、面白くもない道筋が確固たるものになろうとしている。このねじれを真っ当とするに走る現代社会は、既に崩壊しているのだろう。
 「何のために勉強するのか?」と先日、生徒に投げかけてみた。「テストで良い点とるため!」という身近なものから、「良い高校に入るため」や「良い大学に入るため」といった中に、一人の子が「お母さんが喜ぶから」と言った。今時、こういう子がいるとはと彼らを侮った自分を恥じた。多くの子が、テストで良い点をとったり、良い進学校に合格した際の見返りに金銭や品をねだる思惑がある中、その子は見返りを要求するのとはほど遠い世界の親の笑顔という純粋な味わい深い目的として答えたのだ。これが、今彼らに求めるべき目標であろう。こうやったほうが早い とか 得 とか 賢い とかと埋め込まれて、感じる心を、そう本当の意味での生きがいを置き忘れるべく施してはいないだろうか。合理性、その裏側に見える矛盾。AIロボット投入でコロナで疲弊する病院はすくわれるのか?人の代わりとして働いてくれるのはいいが、各種産業と同じく人手不足・マンパワー不足の微々たる足しにはなれど、人が削られ、失業率が増え、就職難民が増えていくことに変わりはないだろう。何度も書いたが、生産性のあるマンパワーが必要な職種を大事に拡充していかねばならない。”人件費を抑える→機械化(AI化)→リストラ→人手不足の解消⇒さらなる離就職者の増幅”というパラドックス。
 人間味のあるべきところまで機器を入れ込むことで何とかせんとする志向に反旗を翻したい。人間味を描く文学を理屈と実用性というロジックで覆い隠す論理国語。作物を作る人があるからこそ産まれる農作物。機器ももちろん道具として使うが、それを操る人がいて成り立つ医療現場。必ずやその側近には、マンパワーを必要とする人がいるのである。人がやることによって意味のあるもの(心にまつわる潤いや癒しや感謝や風情)を付加し文化として育んできた歴史が乾燥無味なものを是とする歴史を綴る世へ変貌しつつある。
 利害と利害が対立する中で、大切にしなければならぬものがそぎ落とされていく。人の生き様をAIで分析したしたところで答えは見えているのだ。いっそ富岳でも使って、コロナ感染拡大防止と経済推進を両立する方策をはじき出せばいいのに。そんな怖いことはできませんてか?パラドックスに脅える政府。末端の人の思いを分かったふりだけして、皆さんのためにというなかれ。まず人を見ましょう。そして、その先にある自然を見ましょう。

 私事ではあるが、生徒から「何で先生になったの?」と聞かれることがある。「高校の時の国語の先生が良かったので国語も好きになったから」とあいまいに答えていた。確かにその先生は私が書いた解答や意見をくみ取ってくれたからなのではあるが、それだけではなかったのだ。当時の私は理屈詰めで解釈していけば、答えにたどり着くとばかり思っていた。そんな矢先授業で西脇順三郎の詩について、思うこと・感じることを書いてみようと紙が配られた。その詩は次の詩である。

 皿  西脇順三郎

黄色い菫が咲く頃の昔、
海豚は天にも海にも頭をもたげ、
尖つた船に花が飾られ
ディオニソスは夢見つゝ航海する
模様のある皿の中で顔を洗つて
宝石商人と一緒に地中海を渡つた
その少年の名は忘れられた。
麗〔ウララカ〕な忘却の朝。

 ほとんど何も書けない自分がいた。多分ほとんど書かず、または、らしい理屈を書いて出したと思う。先生が各々が書いた感想文?を読み始めた。いつもは目立たぬ女の子が書いたものだった。先生は絶賛した。海を渡るキラキラと輝く船、はじける色‥‥。そんな内容だったと思う。愕然とした。驚嘆した。「それでいいの?」とは思いつつも、自分の中にこれまでなかった観念を開いてくれるほどの衝撃であったのだ。「感性」という人の中にある大切なものを、人の営みの中に寄り添いつつかもすものが文学だと感じたのである。シュールレアリスムを知っているいないに関わらず、「皿」という意味不明な詩に頭を打たれたのが、それを知らしめてくれた先生があったのが、国語の教師を目指した理由といえる。

 人生ってこんなもののはず、そう信じています。金のためでも名誉のためでも出世のためでもない、メロスが言うところの「訳のわからぬ大きな力」それが人を動かす源だと。
         2020.12.10

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