Vol.36 今の教育に欠けているもの

ー今の教育に欠けているものー

 「学ばせること。」と言えば、「それだけのことか?」と思われるだろうが、そうなのだ。
 結果を短期に求められる時勢にあって、機能的で真新しい処方ばかりが出回る教育界。どれもがもっともな部分を持ってはいるが、「都合のいい代役の置き方」のような、自分自身とはかけ離れたところにある仕様を用いている感が否めないのだ。
 子供の「学び」は「気づき」から始まる。気づきから疑問が生じ、「思考」へと向かう。そして、思考の末に「結果」を得るのだ。
 ところが、昨今は、「気づき」も「疑問」も「思考」もないまま「結果」を教えることに等しい状況となってしまった。いわゆる「How to … 」もののように。こういう時はこうすればよし と言わんばかりに…。先生であれば、「授業のしかた」「生活指導のやり方」等々。生徒であれば、「名門高校入試対策」やら「英検漢検2級突破の極意」やら枝葉末節の機能的な部分に心を奪われて、それをこなすことこそが、「学ぶということ」とすりかえてしまう。学校もそれと同等のものを行うことが学校のあるべき姿と見間違えていく。
 自己の中に閃き、目覚める「意欲」や「関心」や「疑問」こそが基盤にあるべきエッセンスだ。ここまでがある意味教師の役割のほとんどであろう。しかるに決められた方策で決められたレールの上を決められた結果にたどり着くように導くことが教育の義務と考えている節がある。方策を練り、レールを敷くことになによりの重きをおいてしまう。

 子供が自ら動き始めるまでの環境を整えることに、まず心を傾けよう。
 時代がそれを許さないかもしれない。けれども、わけのわからぬ表装を施して体裁を整えるテクニックばかりに浸らせてはならない。

ーお題目!ー

「大義のためには、端々のものは断つ」とでも言いたいのか。現代において、その大義は見透しのきかぬはっきりしないあやふやなものとなっている。いわゆる「お題目」。だから「何のために?」「何だったのか?」という充足感のない結果にまつわる思いを抱いてしまうのだ。

まるで動脈硬化。コレステロールという名のストレス溜まり、圧ばかりが高まってさらさらいかぬこの世かな。

 夏季休業中の家庭訪問。二学期末の全学年三者面談。働き方改革・変形労働時間制。地域懇談会への生徒の参加。タイムカード導入。公務支援(C4th)。道徳の教科化含む新指導要領。
 そしてSDGs[持続可能な開発目標](日野市公式ホームページより抜粋「2019年7月1日に、日野市は宇都宮市やさいたま市などと共に『SDGs未来都市』に選定され、首相官邸で内閣総理大臣から選定証の交付を受けました。東京都内では初の選定です。」)。
 きらびやかな先進的なすばらしい取り組みがなされているかにみえるこれら…。すべてはお題目でしかないと勘ぐらずにはいられない。そのモデルとなるべく歩み始めているのは周知のとおりかもしれない。

 核兵器禁止条約に批准できない我が国が、子供に平和をどう教えろというのか。
 お金を使わせる(循環させる)ためにプレミアムフライデーからの働き方改革。見ている方向は「経済」であって、働いている我々ではないのは自明の理である。
 お題目にすりかえて、それとなく請け売らせる構図。
 解消されないから、不毛となって、ストレスだけが累積されていく。あぁ~。

お題目!
 教育界はまるでマルチ商法

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