漢詩を終えて

中学校2年生の教材の「古典」。光村図書では、「枕草子(春はあけぼの)」「平家物語(扇の的・弓ながし)」「徒然草(仁和寺にある法師)」「漢詩(春暁・絶句・黄鶴楼にて~・春望)」が掲載されている。

中学3年の「和歌」「おくのほそ道」につなげるにあたり、平家物語においては、「敦盛の最期」を追加し、徒然草においては、「神無月のころ」を加えて学習させた。

中心となる理念としては、平家物語をかわきりに日本の文学のひとつの基盤ともいえる「無常観」を生徒たちに理解させるということである。

「万物流転の法則」ともいうこの「無常観」。散りゆく桜に、何とも言えぬ哀愁と趣を感じえる日本人。平安末期から鎌倉にかけて、末法の世を感じえたのか、その姿を作品の中に描いた仏教の「無常観」は、我々日本人の価値観の根底に今も流れていると思う。

何とか系統立てて、生徒たちに学ばせることはできないかと思い、「敦盛の最期」「神無月のころ」を加えた次第である。

「無常観」の概念を生徒に教えることは、ある意味たやすいのかもしれない。言葉の意味を教えるだけなら簡単なものである。これが実感をともなった理解となると、大変難しいわけである。「どんな状況、どんな雰囲気、どう感じる」という主観(イメージ)を描くことができてこそ、理解できることであるからだ。

和歌から見れば、日本人とはもともと、正直であり、おおらかであり、素朴であったとは思う。「万葉集」はまさにその真っ直ぐな面が現れている。仏教が伝来し、やがて、出家人を含め多くの人が仏教を信仰する身となり、そこで「諸行無常」をとらえたのであろうか。いや、仏教のひとつの理念である「無常」という部分に過敏に反応したのが日本人だったのだろう。仏の教えもとどかぬ暗く先の見えない世にあって、その陰性の方向にもそこはかとなく浮き立つ美や趣を求めんとしたのは、ある意味自然なことでもあろう。鎌倉時代の「新古今和歌集」が、「難解・観念的・謎めいている」と言われるのは、無常観の振子がふりすぎてしまった結果であったのかもしれない。後の枯山水庭園
と似て、流水のある池泉庭園とは違う形で美を表現したのと同じく、一般人には「細かすぎて、わかりにくい」方向へと転化したように思う。陰性の方向性というと何かマイナスなイメージを伴うが、楽曲でいうならば、長調(メジャー)・短調(マイナー)とあるように、短調が決して美を表現できぬものでもなく、そこにもの悲しさはあるにせよ、対極にある美の表現であるといえよう。

すべてのものは移り変わる。その移りゆく過程の中のはかなさをまとった美の表現。

◆「敦盛の最期」に見て取れる無常観の相

  • 熊谷次郎直実の変心⇒武士から出家へといざなわれる直実の心
  • 敦盛の最期の場面、また敦盛が笛を携えていた件⇒武士としての誇りと気品の高さ

◆「扇の的」に見て取れる無常観の相

  • 戦の中に生み出された余興の情緒から現実の戦への変貌

◆「神無月のころ」に見て取れる無常観の相

  • 閑静な風情あふれる空間に存在する異様なまでに囲われた柑子の木⇒風情がだいなし
  • 兼好法師の見解⇒柑子の木を囲わなければよかったとはせず、この木が無かったらよかったとした点(風情を損なうこともなく住人が物欲を抱くこともなかっただろうと思われるため)

◆漢詩に見て取れる無常観の相(杜甫の詩から)

  • 「絶句」「春望」に無常観のルーツを垣間見る⇒国破山河在……

現実にあるものの裏腹に存在する世界や思い

のちの「おくのほそ道」に芭蕉が描く思いと交錯する

 

◎今後の展望

2年次、3学期の終わりに、「新しい博物学の時代」を行い、新古今の代表的歌人藤原定家の意識を植えておく。

3年次の和歌の際に、新古今和歌集にある「見渡せば 花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ」および本歌どりの歌「駒とめて 袖うちはらふ陰もなし 佐野のわたりの雪の夕暮れ」を用いて定家の謎めく点に迫る

おくのほそ道にて、「月日は‥‥」から始まる冒頭の段の謎に迫りつつ、無常観を感じ取らせる。また、「平泉」においても杜甫の詩を思い起させつつ、無常観を感じとらせる。

できれば、時間(時の移り)に着目し、李白(百代の過客)や西行(道のべに‥)、「面八句」から宗祇といった芭蕉の尊敬してやまない旅の詩人にもふれていきたい。

 

 

 

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