法規という台本を演ずる自分というアバターを作る現代(道徳を超越する法規)

菅田将暉がドラマ「ミステリと言う勿れ」の中で「人を殺してはいけないという法律はない」と言う。刑法には「殺人罪」といういわゆる懲罰を記したものはあれど、「人を殺してはいけない」という文面はなく、その理由を明確に述べてはいないからだ。そして、その理由は、述べてしまうこと自体が不条理を呼ぶからなのだろう。

人は一歩表へ出れば、社会規範や常識とやらを纏うアバターとなって生活している。素の(自然な)自分を感ずる時間・機会が薄れてきているのだ。「自分の考えていることは、世の中から見たら正しいのか」という社会の通念という世間体を装うアバターに支配されて生きている。人は一人では生きられないのだから、社会や他者とのすり合わせは、常に常識・規則・法規というステージ上で測られる。よって自分の想いを戦わせる舞台には立てないのだ。「自然に生きる(自然の中で自然な自分を感じ生きる)」ことができなくなってしまった。「自己理解」というアバターづくりの教育がなされ、本当の自分をわからなくする結果を産んではいまいか。自己・自然・本質・根幹から離れた世界で生きる術をスキルと称して学ばせてはいないか。ずっと懐き続けてきた想いである。

「『新しい博物学』の時代」という教育出版の国語の教科書に載せられた教材があって、筆者池内了氏は、「博物学から発展した科学は、深いけれど狭い多数の専門分野の集まりになってしまった」と述べている。つまり学問というものが、分化の経緯をたどり、一つ一つの専門分野となり、のちにはその分野が関係、連携しないものへとなっていく。相互性のない回帰のない方へ進んでしまうことである。現代の一握りのスペシャリスト養成の気運はそこからきているのかもしれない。教育の現場でもそれはささやかれたのか、「総合的な学習の時間」として、各教科の溝を繋ぐべく横断的な連携と発展・応用(自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てる)として登場した。しかるに横断的とは言いながら教科の溝にある部分の新たな分野を切り出してきた様にみえる。情報教育、福祉・ボランティア体験、職場体験、伝統文化、オリパラ‥‥。そして昨今話題のSDGsという開発目標に関しては、環境問題(13,14,15)を軸としながら、「(15)ジェンダー平等」は混合名簿で既にやっていますと匂わせつつ盛り込まんとしている。もちろん世界に目を向かせ、貧困や戦争で平和を失っている世界を教えもするだろうが、最終的には「(8)働きがいも経済成長も」に回収されて負わされる気がしてならない。これを総合や各教科でやっていくのだろう。教科間の溝を繋ぐべく産まれた総合が細分化した新たな科目をする教科となっていく。その主体は生徒。生徒自身が興味関心を抱き、どういうことか、何が必要か、何が足りないか、どうすればよいかと知識を基に思考を巡らす横断的・発展的な活動は今はもうのぞめない。なぜなら、生徒が志向する前に新手の課題として「らしきもの」を与えてしまうからである。
17の開発目標に分化されたSDGs。トランプ遊びの神経衰弱じゃあるまいし、各教科の単元が開発目標のどれとリンクするかと迫られる現状。生徒たちにもその手法でこれからは教えていくのだなと容易く想像できる。やらされる方は本当に神経衰弱になってしまう。テレビである解説者が言っていた。「SDGsは世界経済をみすえた目標である。」と‥‥。
道徳も20ほど「徳目」めいたものがある。それをたどることがゴールとなりかねない。

話を戻そう。「人を殺してはいけない」ことは、法律にあるなしに関わらず万人に共通認識できるものである。これこそが「道徳」の根源である。法に定められているからいけないのではなく、自ずと体現を通して獲得していくものなのだ。その道徳に教科化という枷をかませて、具現化したかにみせているのが今の道徳である。法に倣い、法に従い、用意された答えをなぞる硬い枠組みに閉じ込められ、発想をもつ(考える)機会も与えられない。まるで法は、人の共有できる認識よりも尊いかのようだ。
道徳は多くの者が、いや全員が、共有できる理念としてあるべきものだ。誰のどこかの都合であるものでも枠組み(システム)でもないのだ。
「人を殺してはいけない」- 当たり前のある意味低レベルなモラルと思われるだろうが、そのレベルで思考・判断を開始しないと回帰できない未来をまた造ってしまう。SDGsも同様である。低レベルであるからこそ、それは基盤であり、回帰すべきバイブルとして心に敷く大切なもの。それが道徳であると思う。

法規が先んじて牛耳る道徳に自分を見つめる余裕はない。
自分がわからなくなる時代から自分を知らない世代が産み出されていく危惧を感じてやまない。
2022.1.31

hirorin について

東京で中学の国語教師をしていました。
カテゴリー: 未分類 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です