金子みすゞ「ふしぎ」中1国語 解説

①この詩の種類(形式)は何か。
 口語定型詩と考えるのが一般的でしょう。
 しかし、どの形式とも限定できない工夫がなされている詩と考えた方がいいと思います。
◇韻律が感じられる(作者も何らかのリズムを感じつつ描いている)点から見ると、定型詩。
 一連 8・5/7・5/7・5
 二連 8・5/7・5/7・5
 三連 8・5/7・5/8・5
 四連 8・5/7・5/6・6
・全体として7・5のリズム(七五調)であり、声に出して読んでいけば、自ずと七五調で読んでしまうでしょう。
ただし、戸惑うところがあるとすれば、四連3行目の「あたりまえだ、ということが。」でしょう。これも、句またがりからなる破調として捉えれば、全体的には七五調の定型詩。
◇細かい改行がなされた今様(現代風)のところから見て、上記破調の部分を重く捉えるならば、自由詩。
◇改行はされているが、句読点が用いられている点、体言止めとなるところがない点などから、散文詩とも考えられる。(改行がなければ、散文となる)
 このようなことからはっきりとこの詩の形式を述べさせることは少ないかと思われます。
 しかしこれが、金子みすゞさんのねらいであると思えるのです。このことについてはあとで振り返ります。
②この詩の言わんとしたこと(テーマ)は何か。
 一通り詩を読んでいくとわかると思うのですが、四連の部分が韻律的にも内容的にも前の連とは違うと感じ取れるでしょう。内容を要約すると、「前の連で述べたような自分がふしぎと思うことを、誰もがあたりまえだと思っていて、ふしぎにも感じないことが『ふしぎ』。」となります。ここに金子みすゞさんの思いが集約されています。
 調べればわかると思いますが、恵まれない生涯を遂げた金子みすゞさん。童謡詩人として、詩人西條八十さんから称賛され、脚光を浴びますが、後に詩作を夫から禁じられ、やがて離婚、生まれた娘の親権のもつれから自ら命を絶ってしまいます。忘れ去られる運命を宿していたかに見えた金子みすゞさんの作品を復活させたのが矢崎節夫さんです。金子みすゞさんの弟と奇跡的に巡り会うことができ、遺作も発掘できたのです。
 大正から昭和に代わる時代。これまでには、樋口一葉や与謝野晶子など有名な女流文学者はおりましたが、それでもこの時代の文芸において、女性であることの厳しさが強かったことは想像できるでしょう。「女は家を守れ!」とか「女が働くなんぞとんでもない」とか、とても制約の多かったことだろうと思います。世間が「あたりまえ」としていることのなかに潜む矛盾や偏見、確証・実感のない理解(思い込み)に対する反発を感じてなりません。世間が「物事を決めつけてしまうことによって『あたりまえ』のことだして理解し、すり替えていく」姿勢に強い疑問を抱いたのでしょう。子供があげるような純粋な疑問を、子供だからといって頭ごなしに排斥しないでほしいのです。
 令和の現在においても、金子みすゞさんの言葉は、生きていると思えませんか。昭和初期と同じ構図がこの令和の初期にもあると思えませんか。だからこそ、金子みすゞさんの詩は輝きを失うことなく生き続けていると言えます。
 詩の形式に話をもどすと、金子みすゞさんは、内容面で誰もが思いもつかない新感覚の詩の表現を模索したのは間違いないと思われます。世間は彼女の詩に何か真新しさを感じてはいても、「ああ口語の定型詩だね」とくくって、決めつけてしまうことに金子みすゞさんは反発したのではないかと思います。
③表現技法について
 「ふしぎ」の詩で用いられている修辞法としては、a倒置法 b反復法 c押韻(頭韻・脚韻)があげられます。
 解説によっては、「対句」をあげるものもあります。一連の「黒い雲からふる雨が、/銀にひかっていることが。」と二連の「青いくわの葉たべている、/かいこが白くなることが。」を対句ととらえる考え方です。色の対比はなされていますが、同じ構成で並べられているかと言えば、厳密には対句というのには無理があります。
しかし、作者金子みすゞさんが全く対句を意識していなかったかというと、そうでもありません。
 対句という技法は中国から伝わってきたもので、中国の詩(漢詩)の決まりごととして用いられるものです。4行(四句)で書かれる漢詩を「絶句」というのですが、杜甫の「絶句」という詩は一行目(起句)と二行目(承句)が対句になっています。「絶句」という形式は、起句と承句は必ずしも対句にしなければならないという制約はないのですが、しばしば、起句と承句が対句で表現される場合があるのです。金子みすゞさんの「ふしぎ」で言うと、一連が漢詩で言うところの起句にあたり、二連が漢詩で言うところの承句にあたります。対句であるとは言えないまでも、対句を意識していたとは言えるでしょう。
◇まとめ
 彼女の詩の作風は、真新しいものばかりにベクトルが向いていたとはいえないのです。新しき方向性を向くときもあれば、古(いにしえ)を向くときもあるのです。つまりとても自由なのです。自分から生まれ出た感覚と合致するなら、古いも新しいもないのでしょう。それぐらい自分の感覚(感性)を自分の思いを大切にしている詩人と言えるのです。この古いも新しいもないことが、すなわち、令和の現代においても彼女の詩が輝いている理由でもあるのでしょう。そして、未来に向けても。

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具現化するは我にあり!

 具現化とは「考えや理想などを実際の形やものにして実現すること」という意味ですが、わかりやすく言えば、「考えや思いを理解できる具体的なものとして表現すること」ということです。ここで大事になるのが、自分自身のフィルターを通して考え、理解するという過程なのです。我々をとりまく「学び」というものが、具現的であればよいのですが、現実は残念なことに抽象化していくことこそが「学び」の道だととらえているふしがあります。たとえ、人の心のひだにささらなくとも、相手にある意味機械的にでも概要が伝えられればよいとする方向性です。
 似たようなものに「客観的」という言葉があります。たしかに、物事を客観的に見る姿勢は大切です。しかし、現実は、客観的であることを推奨し、強要するにまでなっていることなのです。まるで、主観をとなえることが、わがままだとでもいうように。
 つまり、「自分」というものを外した世界で生きることが、トレンドとなってしまったようです。自分の主観と接することなく構築された理解というのは、コンクリートやアスファルトやプラスチックに覆われた都会の街のようで、機械的で冷たく感じられませんか。それは、合理的であるのかもしれませんが、自分の実地での行動を伴わない、体現のないものであることにほかなりません。
 誰もがあたりまえのこととして見過ごしてしまう既成の理解の中にこそ、きらめく発見がかくれているものなのです。おのれの経験から導かれた何かおかしいぞ、しっくりこないぞという疑問や謎が自分の理解を積むための糧となるわけです。自分の感性というフィルターを通して感じえたことや思いついたこと(主観と照らしたこと)とは、本当の意味での理解に近づく必要不可欠なものなのです。
 具現化するは我にあり。間違うことをおそれず叫びましょう。既成の理論にとらわれず、自分というものをとおしてみつめ、自分が納得できる解、つまり真実に迫ることがいつの時代においても大切であると。

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人間がたゆたうブラックボックス

 机上ではきっちり治まっていたとしても、現実はうまくいかないことがある。新幹線の運行遅延は台風に端を発しているが、そればかりではないだろうし、マイナカードの問題にいたってはお粗末としか言えない有様だ。打開する方策としてその矛先をシステムに向けるのが現在のトレンドなのだ。テクノロジックなテクニカルな部分を改善することで乗り切ろうとしていくことになるだろう。
 路線の安全を目視で確認するのは結局人であろうし、乗務員や駅員がその時充足していたかは疑わしい。マンパワーが足りていないことが、またもや問題点なのかとも見て取れる。しかし、それも正しき答えではないだろう。例えば、AIがここをこうしてこうすれば、運行できると出したとしても、それに携わる人員が必ずや必要となる。機械は人の都合を鑑みないのだから、言いたいことだけ言って、あげく、無理を強いられるのは、現場の人間と言うことになる。万物はシステムどおりにすべてが動くと誤解しておられる。システムや数値を取り巻く人の存在あってこそ、それは成り立っているのだから。マイナカードも同じであろう。
 人を見るシステムを構築していかねばならない。現状では、人を見るのは人としている。ところが、見るべき人が削減されたり割愛されたりしている。結果的には、マンパワーが足りないに落ち着いてはしまうのだが、上位の者が机上ではじくだけで、人を顧みない姿勢でいるかぎり抜本的な解決には向かわないだろう。人間がたゆたいながら処理するブラックボックス。その重要性を顧みてほしい。
2023/08/18

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カオスからの暴発

 保険金不正請求の問題として糾弾しているのは、経済を見据えた上層部の思考だ。物事の指標を金銭やらの経済的尺度で測ろうとする。保険業者からすれば、とんでもないことだとして、損害賠償を求めるだろうが、その実、両者がずぶずぶの関係である疑いもあり、結局そのつけは保険料の上昇といった消費者に回る仕組みだ。損害を被った消費者や店舗の従業員に視点を向けられる道筋は残るのか危惧するばかりである。
 副社長の店舗査定・降格人事といったパワハラをかわきりに幹部が各店舗・工場に圧力をかける。また各店長は従業員に対して副社長に倣えとばかりパワハラを施す。覇権を握り、下位を従わせ、裾野を拡げていく慣例のごとき悪しき体制は今に始まったことではない。
 脅しという恐怖で成り立つシステムをゆるしてはならない。しかし、声を上げれば、自分が標的になってしまう。これは、子供社会のいじめと何ら変わりはない。いじめの延長線上にあるのが、強要しつつも下位に忖度させようとするハラスメントの実態だ。

 混沌とした世の中にも慣れてしまった我々。混沌していることが当たり前であり、その中で生き抜くスキルを持つことを求められる。働き方をはじめ生き方を自分で改革・創造していくのであるからよろこばしきことだと思う人も多かろう。
 よく考えてみよう。企業社会はカオスであることを是正するための方策ではなく、カオスを利用して、対処療法的なスキルを売り込もうとしているということだ。カオスの是正は、政府がなすべき事項であって、業界とは本質的には無縁であると言いたげである。経済という緒が繋がっていはすれども。
 さらに一方の政府の思考も是正ではなく、業界にのっかる有様ともいえる。カオスの中で泳ぐものはカオスを助長し、自らもカオスにのみ込まれていく。根源的な是正を図ることを指示することはもちろん示唆する姿勢も見あたらない。
 一般人はこの現状に持って行き場のないいらだちを感じはすれど、それもカオスの成せるものとして、狐につままれたようにやがては容認していく過程を辿る。一蓮托生の政界と業界が生み出す混沌の中で人々は泳がされている気がする。

 世の中の事件事故の根源は、己の中に生じた混沌にあると思える。それは、時にストレスとも呼ばれてしまい、元凶にたどり着き是正する方向性を弱めてしまうこともあるようだ。
 カオス暴発の例と言えば、安倍晋三元首相の銃撃事件。個人の恨みや身勝手な考えが過激化して引き起こされた凶行として捉えられるむきが強い。統一教会がらみのことも話題とはなったが、政治家はそれとの関連は別個のものと切り離してほしいのか、当初、容疑者をテロリストと捉えさせようとしているかに見えた。何がそうさせたのか、どんな事情・情状があるのか、鑑みる姿勢は薄い。情状が少しずつ明らかになると、統一教会の高額献金問題には目をつむり、選挙の際の票数まとめの後ろ盾として繋がっていたことはぼやかし、混沌の海へとまた戻す手法を執る。カオスの暴発は、カオスの中に再び埋没させることで終息を迎えようとしている。

 我々の深層心理にはびこる意識。「いじめ」はなくならない。「上意下達のハラスメント社会」もなくならない。「そらして煙に巻く悪しき政治体質」もなくなりはしない。「数値に換算してものの良さを謀る経済遵守の社会」もなくなるわけがない。そして、そう思ってしまう根源には、「戦争はなくならない。」という心理がはびこっているからのようだ。これが、「なくならないのだからあきらめるしかなよね。」という図式をもたらす。このらせんに渦巻く無限ループの社会構造が夢や希望を絡め取っていく気がしてならない。異常気象、自然災害がどれだけ危機的な兆候を示していようとも、戦争は起こるわけだし、資源を食い潰す姿勢に変わりはないし、自分という狭い世界に巣くう声が「今が、自分がよければいいじゃん。」と囁き、結局、とどまることなく流していってしまう。

 カオスが暴発寸前の今、全人類的地球規模の純粋な道徳心を経済や利益に鑑みることなく発信していかねばならないだろう。

2023/08/16

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区別?選別?差別?

 とかくこの世は二者択一のどちらであるかを迫られる。区別されAやBやC…と分けられるまではよいのだが、そこに序列が絡むと、選別されたり差別をうけたりにつながるわけだ。序列を付けて管理するのは、人間の本能なのかもしれない。
 また、あえて反目する敵を作って、凌駕し、勝利という権威を誇らんとする傾向もある。反目する必要などはじめからないにもかかわらずだ。それでも近いところにいる弱いライバルをこさえておいて、それを蹴り落とすように成り上がらんとするのはなぜなのか?さらにそのしょうもない間隙を突いて利を得んと目論む連中も現れる。絡み合った状況下ではっきりとした結果として認識できるものは勝敗だけとなる。勝てば官軍。その論理がいつの世にも漂っているのだ。生き残るためのスキルと称して施される諸々もその類に漏れないだろう。なぜなら結果としての勝敗を見込んでそこに介入しているに過ぎないからだ。理想や真理や本質はもはや眼中にない。勝つか負けるかが重要な焦点となってしまう。日本社会に限らず国際社会も、言わば世界の思考がこの呪縛にとりつかれて逃れられないのだ。
 敗者や弱者は辛酸をなめた末、諦めの壺に封印される。このルーティーンを若者も子供も知らず知らずのうちに歩まされていく。だから教育は踏みとどまらなければならない。社会の流れの一環と位置付いてはならない。差別してはならないとされながら、差別を容認する状態にある現状(人の指向)が物語っていよう。戦いの歴史が人類の、はてまた地球の歴史なのか。皆の幸福を見いだすその方策をさぐることを鼻から考えずに忘れていまいか。「皆の幸福」を目指すという教育の理念を基盤にすえていく必要性をあらためて感じている。自分さえよければいい。他がどうなろうと関係ない。といった無関心な現状の基盤が選別や差別を結果として生み出してしまっていると感じている。差別やいじめはなくならないといった諦めに裏打ちされた論理が理想を朽ちつぶしていく。このルーティーンから抜け出すステートメントを構築することが望まれる。文字通り声明すべき事柄でもあろう。

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簡易に安易にすりかえ流れる社会

 「けりをつける」とよく言われるが、けりのつけ方がよろしくない。
 表出した問題というのは合併症であることが多く、一つを解決しても治癒できないステージに既に陥っていることがほとんどなのだ。しかし社会はおきまりの方策に終始し、どうであろうと解決に向かったと結論付けてしまう。
 一般人は緻密に組み上げられた既定プラン上を生活しているわけではない。ある意味流動的な環境の中でささやかな情緒と隣接しながら日々を送っている。
 しかし社会は一般人の都合など考慮しやしない。そうであるならばこうする。決まり切ったマニュアル通りの手段を返すだけなのだ。「そうなんだけど、そうじゃないんだ。」と言っても同じ返答を繰り返してくる。一般人の情況をわかろうとする姿勢はみじんもない。格差社会はここまで来てしまった。
 「法の支配に基づく国際秩序を守ることの重要性」をエジプト訪問中の岸田総理はシシ大統領との間で一致したと説いた。ウクライナやスーダンの情勢を鑑みたものと捉えられるが、それだけなのだろうか。「法の支配」という重い言葉をロシアがのむはずもないことを前提にして言っている気がする。仮にロシア軍撤退など、うまく言った場合には、法の大切さをさらに説いていくだろう。
 法の支配とは権力者にとっては、「国の支配」に等しいのだ。その点ではロシアも同じである。法に関与できる者からすれば、法の支配は国の支配と同様なのである。「国家のために法がある。」と考える者が民主主義やら法治国家やらを隠れ蓑にして「法の支配」を唱えたとしたら大変怖いことだ。このところの我が国の現状から見ると、一般人を救うためより、国家や行政が一般人を縛るために流布される傾向が高い。ウクライナにしても国家総動員令を出しているわけだし、この世は法というものがどれだけ危ういものであるかを知るべきだ。選挙となれば、「この事柄には触れんようにしよう。この件で攻めよう。」と画策し、本当の意味での一般人の付託に応えることはない。目は己を含めた上を向いていて、一般人の情況を見て見ぬふりで乗り切ろうとしているかに見える。
 けりがつかない現状はよくわかる。だからこそ、人を見て、人の置かれている現状を理解し、施策を講じてほしいものだ。耳を傾けない、歯牙にもかけない姿勢が、人の疎外感を生み、事件も増えている気がしてならない。「国家の安全はすなわち国民の安全であり、国家の繁栄は国民の繁栄である。」という迷信は捨て去るべきだと思う。 2023.5.1

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人間の立場から不当な公式に反抗を試みた

 -人間の立場から不当な公式に反抗を試みた-

 この言葉が脳裏に取り付いて半世紀にわたり離れぬまま世間という社会に向き合わせてくれた。
 この言葉は大東亜戦争開戦間近の1941年11月20日から22日にかけて3日間にわたり都新聞に掲載された「ラムネ氏のこと」と題された坂口安吾の文章の一部である。ジャンルとしては、随筆に見せかけた社会批評文といったところであろう。
 権力の強制によってその思想を放棄することを主題としたものを書くことを強要された文学者を「転向文学者」というが、「ラムネ氏のこと」の中に文人仲間の一人として島木健作が登場する。彼は転向文学の一人として中野重治とともによくあげられる作家である。冒頭にあたる「上」では、小林秀雄、島木健作とともに三好達治の家で釣った鮎を肴にラムネの発明者の話に及ぶ。錚々たる顔ぶれの連中が他愛ないラムネの話で激論を交わす何とも平和そうな書き出しなのである。ラムネの話からふぐの話となり、「中」では、茸の話となる。「下」では、表向きには書かれてはいないがキリシタン禁制の件をにおわせる話となり、「人間の立場から不当な公式に反抗を試みた文学」という文言へと続くのである。
 大正の終わり、国体護持の名目のもと反国家政治運動取締りを謀る治安維持法が制定され、昭和に入ると思想の封じ込めが歴然となって、権力の撒く邪悪な空気によって民の自由は拘束された。思想信条の自由がなかった戦前・戦中。法は権力を擁護するものとして存在していた。安吾の言う「不当な公式」としてである。
 戦後、その反省をうけ、法は権力者の暴走を防ぐものとして生まれ変わったかに見えた。しかし、権力はまたしても法を己を守護するものとして利用し始める。旧態依然の体質を復興するかのように着々とそのすそのを拡げていくのである。もちろん反発する者もいた。安保闘争、学生運動、全共闘。一般庶民の立ち位置として、そのイデオロギーに関知しない多くの者は「迷惑な奴ら」と捉えただろう。ただ、そこに「自由と開放」を求めて闘った者がいたのは事実だ。昭和40年代に学生運動も下火になるころ、急進的な改革路線ではない若者の間でも自由を求める空気は存在した。「戦争を知らない子供たち」であり「翼をください」といったフォークソングに共感した姿にそれは見て取れる。イデオロギーがあるなしに関わらず、事の大小に関わらず、何時の時代でも「自由」を求める気運はあったのだと思う。
 現在では、放送法をめぐる問題が再発している。知る権利・報道の自由に制約を与えん論議を興している。
 とにかくポイントとなるのは、弱者にあたる者の声をどう取り扱おうとしているかだ。弱者であるがゆえ、ひねり潰してしまえばいいとする志向は現在においても確実に残っている。法という揺るがぬものからの縛りをはじめとして、モラルからの縛りを受けて、「自由」を脅かされている現代があるといえる。
 ただし、人間の立場から不当な公式に反抗を試みる意識は薄くなっている。関わらないことで、考えないことで、成り立つ幸福があると錯覚している。今こそ、教育は、強要ではなく、自分で考え自分の意見を持たせることをまやかしではなく本気で考えて行く時に来ている。「学び」という自由を失う前に。
 オームや統一教会であがった洗脳やらマインドコントロール。北朝鮮、中国、ロシアをはじめとする多くの国々が、国家による洗脳をしている。報道の自由が疎外されているところから見れば一目瞭然だ。一方、日本は大丈夫だ。とは言えない。「自由」は、庶民が育てなければならない。

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「走れメロス」の題材となったシラーの「人質」 

 太宰治の「走れメロス」は、ベートーヴェンの『第九』交響曲の歌詩『歓喜の歌』で知られるフリードリヒ・フォン・シラーの著した「人質」という詩を基にして書かれたものである。「人質」の邦訳は、いくつかある中で、太宰が原本としたのは、小栗孝則訳のものである。「走れメロス」と比較しながら読んでもらうとわかると思う。全く同じ部分もあれば、全く存在しない部分もあることに。そして、「人質」にはなかった部分をあぶり出していけば、「走れメロス」の意図が見えてくるだろう。以下に小栗孝則訳の「人質」を載せておく。

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人質 譚詩 フリードリヒ・フォン・シラー 小栗孝則訳

暴君ディオニスのところに
メロスは短劍をふところにして忍びよつた
警吏は彼を捕縛した
「この短劍でなにをするつもりか? 言へ!」
險惡な顏をして暴君は問ひつめた
「町を暴君の手から救ふのだ!」
「磔になつてから後悔するな」- (磔=はりつけ)
「私は」と彼は言つた「死ぬ覺悟でゐる
命乞ひなぞは決してしない
ただ情けをかけたいつもりなら
三日間の日限をあたへてほしい
妹に夫をもたせてやるそのあひだだけ
その代り友逹を人質として置いてをこう
私が逃げたら、彼を絞め殺してくれ」
それを聞きながら王は殘虐な氣持で北叟笑んだ
そして少しのあひだ考へてから言つた
「よし、三日間の日限をおまへにやらう
しかし猶予はきつちりそれ限りだぞ
おまへがわしのところに取り戾しに來ても
彼は身代りとなつて死なねばならぬ
その代り、おまへの罰はゆるしてやらう」
さつそくに彼は友逹を訪ねた。「じつは王が
私の所業を憎んで
磔の刑に処すといふのだ
しかし私に三日間の日限をくれた
妹に夫をもたせてやるそのあひだだけ
君は王のところに人質となつてゐてくれ
私が繩をほどきに歸つてくるまで」
無言のままで友を親友は抱きしめた
そして暴君の手から引き取つた
その場から彼はすぐに出發した
そして三日目の朝、夜もまだ明けきらぬうちに
急いで妹を夫といつしよにした彼は
氣もそぞろに歸路をいそいだ
日限のきれるのを怖れて
途中で雨になつた、いつやむともない豪雨に
山の水源地は氾濫し
小川も河も水かさを增し
やうやく河岸にたどりついたときは
急流に橋は浚はれ
轟々とひびきをあげる激浪が (轟々=ゴウゴウ)
メリメリと橋桁を跳ねとばしてゐた
彼は茫然と、立ちすくんだ
あちこちと眺めまはし
また聲をかぎりに呼びたててみたが
繫舟は殘らず浚はれて影なく
目ざす對岸に運んでくれる
渡守りの姿もどこにもない
流れは荒々しく海のやうになつた
彼は河岸にうづくまり、泣きながら
ゼウスに手をあげて哀願した
「ああ、鎭めたまへ,荒れくるふ流れを!
時は刻々に過ぎてゆきます、太陽もすでに
眞晝時です、あれが沈んでしまつたら
町に歸ることが出來なかつたら
友逹は私のために死ぬのです」
急流はますます激しさを增すばかり
波は波を捲き、煽りたて
時は刻一刻と消えていつた
彼は焦燥にかられた、つひに憤然と勇氣をふるひ
咆え狂ふ波間に身を躍らせ
滿身の力を腕にかけて流れを搔きわけた
神もつひに憐愍を垂れた
やがて岸に這ひあがるや、すぐにまた先きを急いだ
助けをかした神に感謝しながら-
しばらく行くと突然、森の暗がりから
一隊の强盜が躍り出た
行手に立ちふさがり、一擊のもとに打ち殺そうといどみかかつた
飛鳥のやうに彼は飛びのき
打ちかかる弓なりの棍棒を避けた
「何をするのだ?」驚いた彼は蒼くなつて叫んだ
「私は命の外にはなにも無い
それも王にくれてやるものだ!」
いきなり彼は近くの人間から棍棒を奪ひ
「不憫だが、友達のためだ!」
と猛然一擊のうちに三人の者を
彼は仆した、後の者は迯げ去つた (仆=たおす)
やがて太陽が灼熱の光りを投げかけた
つひに激しい疲勞から
彼はぐつたりと膝を折つた
「おお、慈悲深く私を强盜の手から
さきには急流から神聖な地上に救はれたものよ
今、ここまできて、疲れきつて動けなくなるとは
愛する友は私のために死なねばならぬのか?」
ふと耳に、潺々と銀の音色のながれるのが聞こえた(潺々=センセン)
すぐ近くに、さらさらと水音がしてゐる
じつと聲を呑んで、耳をすました
近くの岩の裂目から滾々とささやくやうに (滾々=コンコン)
冷々とした淸水が涌きでてゐる
飛びつくやうに彼は身をかがめた
そして燒けつくからだに元氣をとりもどした
太陽は綠の枝をすかして
かがやき映える草原の上に
巨人のやうな木影をゑがいてゐる
二人の人が衜をゆくのを彼は見た     (衜=道)
急ぎ足に追ひぬこうとしたとき
二人の會話が耳にはいつた
「いまごろは彼が磔にかかつてゐるよ」
胸締めつけられる想ひに、宙を飛んで彼は急いだ
彼を息苦しい焦燥がせきたてた
すでに夕映の光りは
遠いシラクスの塔樓のあたりをつつんでゐる
すると向ふからフィロストラトスがやつてきた
家の留守をしてゐた忠僕は
主人をみとめて愕然とした
「お戾りください! もうお友逹をお助けになることは出來ません
いまはご自分のお命が大切です!
ちようど今、あの方が 死刑になるところです
時間いつぱいまでお歸りになるのを
今か今かとお待ちになつてゐました
暴君の嘲笑も
あの方の强い信念を變へることは出來ませんでした」-
「どうしても間に合はず、彼のために
救ひ手となることが出來なかつたら
私も彼と一緒に死のう
いくら粗暴なタイラントでも (タイラント=暴君・専制君主)
友が友に對する義務を破つたことを、まさか褒めまい
彼は犠牲者を二つ、屠ればよいのだ (屠る=切り裂く・殺す)
愛と誠の力を知るがよいのだ!」
まさに太陽が沈もうとしたとき、彼は門にたどり着いた
すでに磔の柱が高々と立つのを彼は見た
周囲に群衆が撫然として立つてゐた
繩にかけられて友逹は釣りあげられてゆく
猛然と、彼は密集する人ごみをきわけた
「私だ、刑吏!」と彼は叫んだ「殺されるのは!
彼を人質とした私はここだ!」
がやがやと群衆は動搖した
二人の者はかたく抱き合つて
悲喜こもごもの氣持で泣いた
それを見て、ともに泣かぬ人はなかつた
すぐに王の耳にこの美談は傳へられた
王は人間らしい感動を覺えて
早速に二人を玉座の前に呼びよせた
しばらくはまぢまぢと二人の者を見つめてゐたが
やがて王は口を開いた。「おまへらの望みは叶つたぞ
おまへらはわしの心に勝つたのだ
信實とは決して空虛な妄想ではなかつた
どうかわしをも仲間に入れてくれまいか
どうかわしの願ひを聞き入れて
おまへらの仲間の一人にしてほしい」

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シラー作「人質」小栗孝則訳 版 PDF

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 この詩をさらなる自由と愛に裏打ちされた人間味ある物語へと昇華させたのが太宰である。冷徹な王のイメージカラーとして太宰は「青」とし、最後は人の温かい血が流れた「顔を赤らめて」からわかるとおりの「赤」へと変わる対比を明確にしていった。また、熱い男メロスのイメージカラーも「赤」であり王との差異を感覚としてもとらえやすくしている。そう「人質」にさらなる人間の赤い血を通わせたのが「走れメロス」なのであろう。

 硬く受け取られがちなシラーの詩を小栗孝則氏は柔らかく訳そうとしたことは認められるが、太宰はさらに人間臭さを加えて「友達」とでしか書かれてなかった彼に名前「セリヌンティウス」を与え、「友情」や「緋のマントを捧げる少女」の部分を加筆した。締めくくりは「勇者は、ひどく赤面した。」とあるとおりメロスは絵空事の「ヒーロー(英雄)」ではなく、赤面するようなどこにでもいる普通の人間に戻したのである。こんな奴(くじけそうになるが、信頼に報うために走る純真すぎるちょっとイタい奴)がいて欲しいし、それを許せる世の中であってほしいという太宰の叫びがこもっていると思う。

「走れメロス」との相違点

メロスの人物像・素性

  • 「走れメロス」では、メロスは村の牧人で、妹と二人暮らしで、シラクスの街に来たのは妹の花嫁衣装を調達するためとなっている。街でメロスは、王の暴君ぶりを知る。性質は単純、曲がったことは嫌いであるとしている。
  • 「人質」では、メロスの素性・職業は明らかにしていない。また、メロスはシラクスの住人であるかに見える。--後の「フィロストラトス」が、メロスの忠僕となっている点も踏まえ。また、王城へ乗り込むいきさつはない。

妹および妹のいる村の描写

  • 「走れメロス」では、会話を含め妹や花婿、村人の描写がある。
  • 「人質」には、全くない。

韻文表現

  • 「走れメロス」では、「雨中、矢のごとく走り出た。」「波は波をのみ、巻き、あおり立て、そうして、時は刻一刻と消えていく」「押し寄せ渦巻き引きずる流れを、なんのこれしきとかき分けかき分け」など、臨場感のあるたたみかけるようなリズミカルな表現を意図的に多用している。
  • 「人質」にもないわけではないが、限られている。

登場人物の内面描写

  • 「走れメロス」には、メロスの苦悩・逡巡・迷い・あがき といった人間くささを表わす場面がある。また、友達(セリヌンティウス)、王(デイオニス)、妹、民衆、それぞれのキャラクターの役柄が詳細に描かれてられている。

友との殴り合い

  • 「走れメロス」では、王城へ帰り着いたメロスが、竹馬の友セリヌンティウスと殴り合う場面を付加した。

緋のマントを捧げる娘

  • 「走れメロス」では、緋のマントを捧げる娘が登場する場面を付加している。エンディングとしては「どっと群衆の間に、歓声が起こった。『万歳、王様万歳。』」で終ってもよいところを、緋のマントを捧げる場面を付加したのである。

人間味に裏打ちされた「走れメロス」の世界を、我々は楽しんでいる。これは、太宰の何よりも大きな功績であると言える。前述したが、シラーの「人質」に暖かい人間味のある血を通わせたのが太宰なのである。

  • 「暴君ディオニスは、群衆の背後から二人のさまをまじまじと見つめていたが、やがて静かに二人に近づき、顔を赤らめて、こう言った。」
  • 「勇者は、ひどく赤面した。」

暴君といわれた王にも人間の血が流れた様子を克明に描き、メロスは絵空事の英雄で終らせず、赤面するという人間くささ(人間味)のある地点へ戻す決定的な場面としたのである。

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無常観とて移り行くもの -無常について-

 もともと仏教の教義の一つであった無常。仏教伝来とともに日本に渡ってきたのは容易く理解できるが、現代に至るまでわが国の情操の中枢にある価値観として活き続けているのはある意味驚きでもあろう。万物流転の法則ともいえるこの無常観。常では無い。「世にあるものはそのままであり続けられるわけではなく、移りかわっていくものである。」という教義。我々日本の多くの人の心の奥底に今でも宿しているかと思う。
 「無常」という言葉にはもとからはかなさを伴うところは確かにあったろう。唐代の詩人杜甫が「春望」の中で「国破れて山河在り 城春にして草木深し(長安の都は戦に敗れ落ち、山と河が残った。城内は春を迎え、草木が生い茂っている。)」と詠んだ。解釈によって印象は多少変わる部分はある。「草木深し」を荒廃した城内を助長するすさんだ姿ととるか、荒廃した城内ではあるが青々と生命の息吹を感ずる草木が生い茂った姿ととるかである。ただどちらでとるにしても変らないのは、長安の城内が変ったことなのである。長安の都とて、かわりゆく宿命を負うということにかわりはないのだ。そう見ていったとき、仏教の無常観は日本伝来のもととなる中国でも、唱えられていたのは当然のことだろう。
 ただ、日本では、「無常」というものを必要以上に陰(イン)の方向へシフトしてしまったと感じている。そうなった背景として、仏の教えが全く届かぬ「末法(末法思想)」が影を落としたことや同音の「無情(情けなし)」と結びついてしまったことが考えられる。それゆえもの悲しさを纏ったはかなくもせつない陰の意味合いが強まった気がする。平家物語をはじめ徒然草など無常観を著す文献は山ほどある。そのほとんどが、あとに残る余韻の情景(余情)が暗くせつないのだ。藤原定家にいたっては「空想の絵画歌人」とか「歌の枯山水」と言いたいくらいストイックにつき詰めた殺風景な陰の情景を余韻に残す。芭蕉とて無常を尊ぶ歌人(俳諧師)の一人ではあるが、彼の場合はこれまでの詩人歌人とは一味違うと思う。その違いとは、残る余情がプラス指向、つまり陽の情景を余韻に残すようにしているところなのである。
 「おくのほそ道」の冒頭の段に挿入された発句「草の戸も住み替はる代ぞ雛の家」。残る味わい(余韻として残るの)は、雛人形をかざる子供のいる温かくもきらびやかな家族の情景であり、それが残像として浮き彫りにされよう。対比の関係にある芭蕉が住んでいるころの庵は「江上の破屋」であり「草の戸」であり、自分が旅に出て長く家を空けていると蜘蛛が古巣を張ってしまうようなひなびた庵である。そのもの悲しさという負の陰の残像を余韻として残そうと芭蕉はしていない。芭蕉は生まれ変わった新たな庵の旅立ちを祈念しているのである。すべてのものが旅人であるなら、庵とて旅人であってしかるべきだ。庵を旅立たせよう(庵に新たな庵の人生をおくらせよう)としたのである。残る味わい(余韻)に、前向きで、力強くもあり、明るくもあり、華やかでもあるプラス指向のイメージを描くことを意識していたといえるのではないか。
 また平泉に到着した芭蕉は、五百年前の奥州藤原氏の繁栄の名残りを「大門の跡は一里こなたにあり」とか「金鶏山のみ形を残す」と述べている。高館(義経堂)に至っては高館は残っておらず、雑草ばかりが生い茂る変わり果てた様子に直面し、杜甫の詩をはさむ。負の様相を拝した無常を唱える句をここで芭蕉は残すかと思いきや、義経主従と泰衡の軍がここで戦う姿を二重写しにした状況を描く。その句が「夏草や兵どもが夢の跡」である。実際に目の前にあるのは荒れ果てた雑草の生い茂る高館跡ではあるが、余韻として残るのは、双方がそれぞれの夢を描いてたくましく戦い、切り結ぶ情景であろう。ここでも芭蕉は、陰に落とさず、陽にむけた味わいとして残すよう努めているようにみえる。さらに、この平泉では「五月雨の降り残してや光堂」の句も残す。鞘堂で金色堂(光堂)を覆ったお陰で朽ちることなく残っていたのだ。芭蕉にとってこの感動は句に残すにあたいする。大門の跡はあくまで跡であって南大門が残っていたわけでもなく、人工の山金鶏山とて五百年の間にその雄姿はかなり薄れていただろう。高館にいたっては、跡形もなく雑草に覆いつくされていた。これまでのあるにはあるがの遺跡とは違い、この光堂は、当時を偲ぶことのできる実景として目の当たりにすることができたのである。このように芭蕉は己の心が動いた(感動した)時に句を残すと私は思っている。
 長い年月の中で「無常」というものが、徐々に陰の様相を深めていった。陽の様相として移り行く無常を描いたのが芭蕉であったと思う。そしてその陽の様相を残す試みは、のちの蕉風の中の「軽み」につながる芭蕉の理念とも言えよう。
 たしかにそれ以前にも芭蕉の敬慕する西行が「道の辺に清水流るる柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ」と芦野の地で余韻に陽の味わいを残したものがある。
 西行の足跡をたどる旅ともいわれるおくのほそ道の旅。西行の場合は鎌倉が奥州に睨みをきかせる構図の中で平泉を目指した。芭蕉の場合は江戸が日光東照宮修復手伝いを負わすこととなる仙台藩に睨みをきかせる構図の中で平泉を目指す。中央が奥州を睨む似た構図の中、当時の西行師匠がどんな思いで平泉を目指したのかを同化する形で知りえたかったのだろう。西行師匠はおそらく奥州藤原氏の行く末と義経の行く末を案じていたのだろうと思いながら。
 無常が画一化した陰の理念となって行く中で、芭蕉は無常のもつ多様性を拓いていったのだと思う。

   無常とて移り行くかな初鴉
 

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価値観と本質によせて

 大切なものを見落としつつ、次から次へと不誠実に不確実なものを組み上げてきた現代。大切であるという伏線さえも回収されることがないよう闇に葬られてしまう。これが繰り返されながら徐々に膨張する悪しき慣例は、今や現代社会に堅固に根付いてしまったようだ。
 本質に帰ることがない。善良なイベントであっても、そこにむらがり、どこに金が産まれるかと物色する輩で盛り上がってしまう。結局、とりまきにある個々の新手の産業によって食いつくされてしまい、大元(本質)の輝きを顧みないで終わってしまうのだ。

 ところで、自分自身の価値観について考えてみよう。価値観とは長い年月をかけて構築されるものとみえるが、実はその根源は浅いところにあると思っている。それは、幼いころに自分の感性で素敵だと感銘した光景に回帰する。
 しかし、現代という情報過多な時代にあっては、自分の感覚、いや、価値観は作られた既成の価値観で埋め尽くされてはいまいか。数多の情報が不確かな価値観を作り上げてしまい、おのれの善しとする価値観とすり替えてしまう。自分の価値観は本当に自分がいいと思っているものなのか。他人や周りや世間や社会が、是とする既成の価値観を自分の価値観だと置き換えているだけではないのか。そんな疑念がふつふつと沸いてきてしまう。
 長年教育に携わってきたが、振り返ると、子供たちが自分自身の価値観を育むように我々が努めてきたとは言い難い。小学校の時から、どこにだしても恥ずかしくない大人とするべく急かすように大人の価値観を押し付けてきた気がする。子供には子供にしか体現できない感覚があるはずで、えてして大人は「そんなものにかまけてないでこうしなさい。」と道筋を定めてしまうことがほとんどだ。
 今の生徒を見ていると、時短、便利、という合理性にみあう価値観に覆いつくされてしまった。たしかに「エモい」といった若者世代の新たな感覚・価値観もあるにはあるのだが、安直に結果を得ることこそが何よりも重要な価値として根付いてしまったようである。「なるほど」と納得することさえ無駄な時間として捉えられ、結果として「なるほど」は死語となっていった。結果や答えを早くつかむことが関心事であって、真実や本質なんぞは二の次の次になっている感は否めない。
 岡本太郎氏が「青空」という評論の中でこう述べていた。「芸術の天地はそのエッセンスだ。だれでもが当たり前のこととして見過ごしている世界に目を凝らし、瞬間瞬間に発見し、驚きを開いてゆく。それが芸術の役割である。科学だって、対象の世界こそ違うが、同様に新鮮な目によって発展していく。―<略>― 素朴に、無邪気に、幼児のような目をみはらなければ、世界はふくらまない。」と。
 子供が発見と興味をもった時、子供が自分の価値観へとつながる真髄に迫る前に大人はそれを取り上げてしまう。彼らの大事な時間をじっくりと自分自身で育ませることが求められる。そうでなければ、信念のない既存の価値観を纏うことが必至であろう。

 自分を認めてもらえるところがないと前に進めない強迫観念から、自分の価値観から逸れたところで結果を掴もうとする。学業いや受験もそうであろう。まずは、認めてもらえる土台を形成したいのだ。何を学びたいのか、探究したいのかという本質に近い部分より、合格することがなにより重要であり、そこをゴールにさえしてしまうことも少なくない。説得力のある自分の価値観に裏打ちされた理念作りを目指してほしく思う。

 既成概念という固定観念=価値観を植え付けられた民衆ばかりになることを喜ぶ者は誰なのか。そんなことばかり考えてしまう現代とはなんなのか。

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