Vol.6 「炎を見ろ」から

「炎を見ろ」から  

 (だいぶ前に書いたのですが、途中で留めていたものです)

 形骸化していくのは世の常。
 形骸化を見破られぬために神格化を図るのも世の常。けっして平らかではない凸凹の社会を、平らかであるがごとく偽らんとする哀れみ。

 戻るところはどこなのか?
 鑑みるところを定めた時点で・・・・終りかも。現実・現代・今・目の前にあるものを見ろ!

 そういえば、NHKプロジェクトX「炎を見ろ-赤き城の伝説」という番組があって、国語の教科書にも載ったものだが、それは首里城の屋根瓦復元に用いる赤瓦を作る話であった。計測機器をもちいて最適であるだろう温度で瓦を焼いたとしても、期待通りのものはできなかった。結局職人の「炎を見る目」が完成度の高い品を生み出す。どんなに管理された環境で作ったとしても成し遂げられぬものを生み出すには、その場の空気、状態、そこにいる者の感覚、目が、なくては成し遂げられないというものだった。その実態(焼けて行く瓦の様子)を見ずして、既成のデータや新たな機器という基盤を設け、それだけにたよってもなせない現代社会にむけた警鐘を感じた。教育とて同じであろう。「炎を見ない」でも成り立つ社会を作ろうと焦る現代。その落とし穴、代償の大きさを遠い昔ではないほんの少しだけ前の過去の事象に学んだはずではなかったか……。現実を見ることもせず、戻ることさえ不可能にしてしまう一方通行のレールの上で、さらなる既成事実とされる事柄が覆いかぶさり、本質を見る機会も奪われていく。
 物事を成し遂げるにあたり、投じたロマン。おぼろげにしか見えてこない結果という未来を、理屈と科学の進歩によってのみ達成せんとする現代。感覚を研ぎ澄ませ、状況を感じとり、情緒をあらわしていきたいものだ。

白髪レガシーについて

 「メタボじじい」はいつも同じことを言っていると感じた人は多いでしょう。扱う事柄は違えど、言いたいことはたしかに同じなのです。でも、裏返せばそれだけ多くの気になる事柄が、教育の現場のみならず社会や子供たちの中に蔓延してるとも言えます。 「世の中の『是』とする価値観に反旗を」の思いが強いです。「何が真実なんだ!」「何が正しいんだ!」「嘘吐くな!」という。

 「白髪レガシー」は2年前、この春転出してしまった某○上君を覚醒させるプロジェクトとして興したものです。戸○君が覚醒したかどうかは定かではありませんが、それがこんな形になってしまったのです。

 我々の仕事は、どんなに尊いすばらしい教育を施したとしても、成果を認められることはほとんどない。あったとしても大会や演奏会で「優勝」に匹敵することを成し遂げたなど、見てわかることをたまに認めるくらいで、目に見えない、形としては顕れない事柄を評価などされないのである。そのかわり、失敗したときは思いっきり叩かれる。教員自体も褒められもせぬ仕事をしている自分は正しいのだろうかと不安にもなるだろう。この焦燥と閉塞の中でもがき続ける中で救いを求めるならば、「希望」を持ち続けることしかない。どんなに堕ちてゆく方向性の世の中であっても「信じる」ことを忘れてはならない。大人がもてぬ「希望」によって、生徒が「希望」をもてるわけはないのだから‥‥。

白髪レガシーVol.6 PDF