Vol.29 I can’t stop the “wacha wacha”!

I can’t stop the “wacha wacha”!
(わちゃわちゃが止まらない!)

 これは何なの? で? わけも分からず右往左往。そんな生徒の状況。そして、教師の状況。 
 教育の現場が大人も子供もわちゃわちゃしている。
 能動的な学びを取り入れることは決して悪いことではない。が、「アクティブラーニング」として独立化したかのような権威をふるって、どこでもいつでも取り入れなきゃならないわけではないはずだ。子供たちの意識の中に動いたり話し合ったり意見交換したりすることこそが学びであるという認識を持ってしまったら、逆に危ないといえよう。脳内に展開される「わちゃわちゃが止まらない」状況をである。わちゃわちゃしていることが学びであると誤認されてはならないのである。確かに黙って外れているよりかは参加している方がいいとはいえる。参加していれば学んだ気になる=能動的な活動をしている とするのはあまりにも稚拙ではないか。
 課題にむかいそれを解決する課題解決学習も大変重要ではあるが、現状は課題を発掘する能力に欠けるため、与えられた課題に対しては、知識をもとにあれこれと考察できる子も居はするが、自分が課題と思うことを描くことはほぼできない。自分の関心に結び付く課題として構築できないのだ。自分自身は他に置いておいて、疑似体験・シミユレーションとして課題解決に取り組むのがほとんどだからである。実感という深い学びにつながらない無限ループをどれだけ繰り返すのであろうか。
 枠を与えて、取説どおりにそれができれば、課題解決完了!ではないはずだ。だから、社会を見なくなる。世の中を見なくなる。矛盾を発掘できなくなる。善き社会・世の中・世界を築くために、何が問題なのか、必要なのかと考える姿勢を彼らに養わせなければなるまい。
 学力だろうが健康だろうがいじめだろうが、地に足がつかない舞台でわけもわからず心なく演じているだけにすぎない関わり方ならば、底がぬけてしまうだろう。
 学力の例:
Mの呟き「『文科省の学力検査・都の学力検査』結果を受けて自校生徒の状況を知り、改善点を明らかにし、学力向上に活かす取り組みを模索しろってか!表向きの講釈はわかった。 で、何の意味があるの?」
天の声 「あなたがた教職員の資質・指導力向上のために決まっているじゃないですか!」
Mの呟き「授業改善プランってやつっすか?」
天の声 「そうそう。」
Mの呟き「あんな意味不明な検査問題で子供の学力を計ってるのにかぁ><; そしてはじき出された結果から自校生徒により必要とされる項目をさらい、改善すべく授業に活かす。 これに本当に意味あるんすか??? わちゃわちゃ‥わちゃわちゃ‥‥?」
 ♪「 I can’t stop the “wacha wacha”! どうしてな~の わちゃわちゃがとまらな~い 」♪
 ? それはねぇ。解決不能な不安が何度も何度も反響しつづけているからなんだょぉ‥‥。
 わちゃわちゃは多少であれば、あってしかるべきではある。不安要素を一つずつ解決していってきれいになるのなら。しかし、現在の子供たちおよび現場の教師が抱える わちゃわちゃ はもぐらたたきのごとくいつまでたっても解決しない。解決しないと感じるからさらに わちゃわちゃ が増幅していく。悪循環・無限ループ。

♪「 I can’t stop the “wacha wacha”! どうしてな~の わちゃわちゃがとまらな~い 」♪   あんりっ?

I can’t stop !

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