いじめ隠ぺい事件から

 「報道特集」でふれられていたが、17年前の神戸市教育委員会によるいじめ隠蔽の事件。
 上に立つものが隠蔽工作するようであっては、当事者も子供も親も教職員でさえもうかばれない。結果的には上の者の都合のいいように改ざんされ、いじめの責任は、結局学校やだらしない教職員にあるのだとなるように世間の思考を謀っていく。上の者の逃げ道だけはしっかり作って投げ、うやむやにしていく構図は政府の「コロナ対応」と同じである。
 核廃絶というスタンスはとっているかにみせ、ウクライナやロシア、北朝鮮の動向から、日本も核を持ち抑止力を高めるべきという世論があがれば、機を得たり、水を得た魚のごとく核戦略を進めんとする空気を感じてならない。
 欺瞞に満ちた社会が、さらなる欺瞞をうみだしていく。人手不足と効率化・省人化をねらったコンビニなどのセルフレジが、逆に効率の悪い状況を生み出してしまう事例があがった。高齢者など操作に慣れていない場合、店員のサポートが必要となり、人件費を抑えた結果、少ない従業員でまわしているため、対応にあたる店員の業務負荷も高まってしまい、回転率も落ちてしまうということらしい。ここで、注視しなければならないのは、セルフレジ問題として目に見えてあがってきているものではなく、問題として浮かび上がらぬ問題のところである。スマホやインターネットでの決済が苦手な人はまだ、多くいるはずだが、販売側の生産者はこれを顧みず、消費者である購入側は、ほぼサポートのつかないところであきらめてしまう目に見えないケースがいくつもあるはずなのだ。便利と効率に勢いづく流れに、見落とされおいていかれる面に見えない水面下の問題。
 利点ばかりを宣伝文句として掲げ、問題点には蓋をしていく常套手段が幅を利かせて闊歩している。もどれない返しのついた一本道を。 

 予防することが難しい案件ばかりなのであるが、予防することが何より大事とされる諸々。いじめ、隠ぺい体質、霊感商法、防衛、業務過密化。何かしら問題が生じても乗った列車から飛び降りることができない。いや飛び降りることなど考えられない場所を既に走っているのだ。予防する方法も列車に乗る前のところを抑えるしかない。そのためには、教育が必要だろう。しかし、教育も列車に乗っている現状からみると、やはり難しい。対処療法的に個々の問題における予防法を講じることが精一杯であって、真実を見極める教育(「真理と平和を希求する人間の育成、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造」教育基本法前文)を進歩や発展や利便性、合理化、効率化、経済成長にかまけて、根付かせていないのだ。
 乗ってしまったら船は引き返さない。自ら考え、判断し、企画し、創造する過程をじっくりと体現させる教育が強く望まれる。

     2022.8.30

hirorin について

東京で中学の国語教師をしていました。
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