Vol.68 五輪とコロナ

 パラリンピックが始まる。丸川五輪相をはじめとする政府や小池都知事は、学校連携観戦に手をあげた自治体に一層の感染予防を投げかける形で、強行しようとしている。自分が務める自治体が学校観戦を希望(賛同)していないからといって「良かったぁ」で済まされる話ではない。
 コロナ感染、オリンピック、パラリンピック。それらに伴い、学校は振り回されながら対処してきた。言えることは何かと言えば、「さじを投げて、現場に責任を押し付ける」ということ。「やるときは、自己判断でやってください。それとなくそうなる方向へと誘導しているにもかかわらず、こちらとしては責任を負いかねますので」という臭いをかもしている。令和前からその風潮は世の中に流れてはいた。図式は同じなのである。「働き方改革」にしても、行政がなにをもたらしてくれたのか?「部活の活動時間を手当の付かない時間内にすること!?」なのか。忙しさ煩雑さには拍車がかかっているというのに。とどのつまり、「働き方改革を実践できていない個人に責任がある(自己責任)」というところに落ち着くシナリオなのである。
 コロナでもそうだ。「『自粛』と言ってるうちに自粛してくれない国民の皆さんが元凶である」かの臭いがする言いぶり。責任の所在を自分からほど遠く、はっきりしないところに運ぶことしか考えていない気がしてならない。記者の質問に対し、焦点の合わないはぐらかした回答を繰り返すだけの首相。このどうにもできない脆弱な社会を見せていること自体が教育上何にもまして宜しくない。政治の手段として五輪があるのではないはずだろうに、どうにも昨今の情勢は、統治者の発することが是であり正しいものとされ、国民心情とはずれたところにあるらしい。1年前より格段に危機感の高いコロナ感染情勢、医療崩壊。今更「自粛」という日本人の国民性に賭ける手段が、切り札とはならないのは明白なはずだ。冬が近づくとインフルエンザの対応(学級閉鎖など)に追われる学校。コロナは季節を選ばず感染蔓延を引き起こしているというのに。学校で感染が確認されれば、保健所に代わって学校が濃厚接触者の確認(感染経路の追尾)をするはこびとなるようだ。病床数を増やせと号令かけて、ワクチンをうてと号令かけて、不要不急の外出を慎めと号令かけて、その間に何をしてくれていたのかもわからせぬままにさらなる何かをさせようと強いる。「現場」の困窮する情況をさしおいてまで、責任の所在を混沌とした闇へ迷い込ませる気か。
 各分野の専門家だけがわかる難しく積み上げられ入り組んだ社会の構造。わかりにくさにつけ込んで、己の利となる都合のいいところだけを発信する権力者。はぐらかされるばかりで、わかりやすく自然に生きる術を獲得できない一般庶民。医療従事者も教育も政治の道具として扱われている。連携観戦に何の意味があるのか。連携感染が迫っている。
           2021.8.24

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