Vol.70 道徳「二通の手紙」によせて

 9月18日(土)道徳地区公開講座。コロナの影響もあり学校評議員のみの参観となって行われた。3年生の教材は「二通の手紙」である。この文章の筆者について調べてみた。筆者白木みどりさんは道徳界においては、重鎮であるかにみえる。「二通の手紙」という教材は我々が使っている学研をはじめ、ほとんどの教科書出版社に載せられているとかで、必修教材の様相を呈している。
 内容を読んでみてふと思った。生徒に何を伝え、何を考えさせようというのだろうかと。
 最近はやりの「徳目(内容項目)」でみると、22ある項目の10番目「遵法精神、公徳心」にあたるということだ。「法律・規則はまもるべきもの」として教えていくことになるのだろう。そんな中で「二通の手紙」は遵法精神を問いかける題材として適切だったのか疑問は大いに残るところである。内容から見て道徳であることは間違いないのだが、規則を守る(遵法精神)を意識して書かれた文章ではないと思えるのだ。「徳目」とかがとりざたされる以前に書かれたものかもしれないし、筆者が遵法精神を説くために書き下ろされたとは考えにくいのだ。事の真相は白木みどり先生に聞くしかないが、おおよそ「徳目、遵法精神」に見合う文章はそう多くはなかったのであろう。関係があるといえばあるというところで「二通の手紙」をどの教科書会社も採用しているのかもしれない。
 さて、「二通の手紙」の内容であるが、動物園に勤める佐々木が入園係の山田を押しのけて、入園時刻を過ぎて入園しようとする流行のファッションに身を包んだ高校生を追い返すところから始まる。山田は「かわいそうじゃないですか」と食い下がるが、佐々木は昔の話(同僚の元さんと、小学校3年生ぐらいの女の子と3,4歳ぐらいの男の子の兄弟の話)を始める。昔の話とは、毎日終了間際に来ては入場門の柵に身を乗り出して園内をのぞいている幼い姉弟が、今日は弟の誕生日だからキリンやゾウを見せてあげたいと入園料を持って入園終了時刻をわずか過ぎてあらわれた際に、元さんは一緒に来られない親の事情を察し、特別に中に入れてあげたというものであった。事態は二人の姉弟が戻ってこないことから捜索するはこびとなる。結局怪我も無く園内で発見された。数日後、元さん宛てに一通の手紙が届く。内容は姉弟の母親からの感謝の手紙であった。喜びもつかの間、上司から呼び出され一通の手紙を受け取る。このもう一通が「懲戒処分」の通告であったわけだ。
 「感謝の手紙」と「懲戒通告の手紙」この二通の手紙から遵法精神ゆえ「懲戒処分の手紙」を恐怖の対象として、こうならないように規則は守りましょうと説くのは無理であろう。「感謝の手紙」が内容を含めて本文中に描かれているのに、「懲戒通告」としかないもう一通の手紙に重きを置いていいものなのかと魔訶不思議に思えてしまう。
 「二人の幼い姉弟の時」と「二人の今ふうの女子高校生の時」とは状況が全く同じではないのだ。時代も違うだろうし、おかれた境遇だって違う。
 高校生の場合は、理解できるだろうし、たとえ理解できなくて抗議の電話をしたところで「入園終了時刻を過ぎていたので無理だと判断されます。」といった返答が返ってくることはわかるだろうから不服さだけを表して済んだと思われる。特に事情もないのなら次の機会を待てばいいのである。
 幼い姉弟の場合は、元さんを介して、思い(事情)を察するものが存在する。規則としては間違っていたかもしれないけれど、元さんのような人が保身に転じ世の中からいなくなるようなら、あってはならないことだと思う。ここをおさえてこそが道徳であると思う。

 罰を重くすることで罰への恐怖心をあおり、触法行為を減らそうとするかに見える現代。規則を守らないと大変なことになりますよと紋切型の手法で抑え込まんとする現代。大人の世界ならまだしも、子供に向けて説くならば、どんな未来であってほしいかに尽きる。少なからずとも元さんのような人がいる社会を望むのか、冷たく型どおりに見捨てて過ぎていく社会を望むのか。きまりや規則、法律にしないまでもどうあった方が良いかと考え、暗黙の了解の中で豊かに暮らせる社会を創るための教科が道徳だと思う。
2021.9.30
台風来たってプレテストへ出かけますよぉ!

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