Vol.39 教育とプロパガンダ

教育とプロパガンダ

 教育の主導権を握る。教育を征する。それが一番簡単で効率的で効果的なプロパガンダとなる。

 プロパガンダを用いて主導権を握ったものと対抗するために、敵対するプロパガンダを敷くことで応戦する。その繰り返しが歴史となる。

 共通することは、大勢の志向をどちらが執るか、あるいはどれが執るかという勝敗を意識した構造であることである。

 しかし、時にある賢人の言動が、普遍性のあるものとして人の心を潤すことがある。それも一つのプロパガンダなのかもしれないが、いずれかの勝敗や己の損得と係わらない点において威光を放つ。

 マハトマ・ガンジーがそれであるやもしれぬし、ヘレン・ケラーがそれであるともいえよう。敵対すると思われる側から見ても覆すことのできぬ普遍性。

 普遍的でないものを普遍的であるかにプロパガンダを用いて画策する社会構造。  普遍性の根源は「愛」である。つかみどころのないそれは、看過されることを常とする。

 所詮、数々の教育の方法は表面に現れた薄い皮にすぎぬのではないか。着せ替え人形のごとく、流行に沿って世論に浸透させようとしているだけではないか。

 愛を感じとれないところに前向きな安泰はない。この時代の大きな欠陥と言えよう。あなたは「働き方改革」に「愛」を感じますか? C4h校務支援に張られたバナーに日野市における教員の働き方改革について触れられている。要するに教員自身が効率よく自分の働き方を構築しなさいということが90%のようだ。外からする支援としては SSSを配置して教員の仕事の補助(簡易な採点など)するといったもので、抜本的な支援の仕組みとはほど遠い。精神的な支援が教員に求められているにもかかわらず、物質的な機能に置き換えて支援しているとするところに「愛」を感じ取れますか?合理的に効率化を図ることによって教員の働き方改革を進めていく中で、子供に寄り添わない合理的な教員が増えていくのは目に見えている。 「所詮業務に『愛』など必要ないのだ!」といわんばかりに‥‥。

 潤いの消えた社会構造。心無いプロパガンダが飛び交う社会。

 これでいいのか?

 背伸びしないささやかな幸せを求める気持ちを一人一人、一国一国が持てれば、平和な社会は達成できるはず。「それじゃあ物足りん」と相手を蹴落としてまで勝利することを追求するこの世とは何ぞや⁉

 多くのことを望んでやしません。心のゆとりが欲しいだけ。「働き方改革」と唱えて、心のゆとりがさらにつぶされていくのが辛いのです。頭でっかちになって講じても、心は普遍のところにあるばかり。その戻れる場所があると認識できるうちになんとかせねばと思うこの頃。

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