「おくのほそ道」には謎が多いのですが、解せないのが次のことです。
ひどい腹痛から、芭蕉との旅を断念し親戚筋の伊勢長島で養生することとなった曾良。体調おぼつかない中、芭蕉より速く歩き、ゴール大垣よりずっと先にある伊勢にたどり着けるものなのか?しかも曾良は養生後大垣に赴き、芭蕉の到着を祝うようだが。
①加賀の山中温泉から芭蕉を残して、病身の曾良が芭蕉に先んじて進めるものなのか? しかも、伊勢長島まで? さらに、大垣へと戻って芭蕉を出迎える?
②養生のためだとして伊勢に向かったのは、本当は「おくのほそ道」の旅の後の芭蕉の伊勢参りの段どりでもしていたのか? または、芭蕉翁むすびの地到着の伝令役として、近隣の門人たちの大垣出迎えを仰いでいたのか?
まさか、 「おくのほそ道」 の旅のむすびが近いと察し、病をおして必死に芭蕉をたてるべく上記のために奮闘したのか? など。
謎、謎、謎‥‥。
2021.9.28