いつ終わるのでしょう?

 新年度に入って、プー太郎(プーチンではないですよ)として、自由を謳歌しています。といいたいところですが、健康保険は国民健康保険に切り替えられたものの、年金の決定通知が来なく、今のところ無職・無収入のため、かみさんに毎日叩かれている有様です。あは^^

 ウクライナ侵攻、コロナ状勢、いつ終わるのでしょうか? 先の見えない不安というか、いつまで続くのかという不安が、現代社会を覆っているようで、このどうしようもない空気にのまれ、大事なものまでおろそかにしていかないかと、さらなる不安が押し寄せてきます。

 焦土と化し、人は住めなくなり、立ち去るほかない方向へと持ち込み、実効支配して領土を確保せんとする。

 相次ぐコロナの変異株感染拡大と蔓延防止のいたちごっこ。

 共通するのは、その悲劇の度合いを述べるとき、その尺度として用いるのが経済なのです。経済を人質にして、さらなる深き闇へと迷い込ませる。敵か味方かとか民主国家か権勢国家かとか資本主義か社会主義かとは関係なく、傍観者にあたる者が惨劇がもたらす経済的損益や物価の高騰という点で悲劇を測るところにあるのです。

 止まらないドミノ倒しの状態は、多方面にわたります。原油調達のほそりから原油価格高騰、電力不足から計画停電も模索されています。原発再稼働もささやかれており、資源の不足からくる影響があるべき姿でない方へと進む連鎖をおこしているのです。

 資源や食材を貿易に頼らざるを得ないわが国が、外貨を得るために力を入れたのが観光だったのでしょう。しかしコロナの影響で、立ち行かないものとなってしまいました。

 あぶく銭をもとめる姿勢を改め、地に足をつけ自給自足の基盤を拡げていくことが望まれると思います。戦争・疫病・自然災害、何が起こるか分からない中で、自力をつけることこそが我が国だけでなく世界の国々が見据えるべき方向性だと思います。安いならそっちに頼ろうとか、うまく利用しようといった下衆な考えに陥らず、生活の基盤を財力に傾倒することなく本質を見て生きることが求められます。

 

hirorin について

東京で中学の国語教師をしていました。
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