都合という呪縛 part 2

 ウクライナ東部に傀儡政権を建てるべくロシアは目論む。それがプーチンの都合なのだろう。何とひどいことではないかと思われるだろうが、人類はこれまでに己の都合にとらわれないようにするワクチンを生成してこなかった。
 かつての日本が、ラストエンペラーで知られる清朝末裔愛新覚羅溥儀をたて、満州国という傀儡国家を設立させたことからもわかるとおりである。
 大航海時代に遡れば、植民地と称して、先住民を排除しながら奪いつくし自国のものとしてきた。移植者によって開拓され、経済的に開発していった土地が植民地なのだからいいのではないか。と思う方もいるだろうが、このとき、宗主国(統治国)の権力者のみならず、その国にいる庶民でさえ、先住民の生活や思いを顧みることはない。自分たちにとって都合のいい新天地として胸躍らせる有様なのである。植民地とは本国にいるものから見れば、聞こえのよい言葉であるかもしれぬが、立場をかえれば、なんと一方的な恣意的なものであると憤りも覚えよう。
 現代社会においては、国連総会決議(1960.12.14 植民地独立付与宣言)もあり、植民地化は難しいものの、先住者を排除し、焦土化させ、新たに本国から人を送り傀儡政権を模索する手法は残っているかに見える。
 そんな様子がロシアのウクライナ侵攻に見て取れるのである。

 さて傀儡政権とか傀儡国家という中にある傀儡(かいらい)という言葉であるが、「あやつり人形」つまり「でく(でくのぼう)」ということである。魯迅の「故郷」の中で出てきたルントウを称した「でくのぼうのような人間」。ルントウの場合は貧しく疲弊し、打ちひしがれて心が麻痺して(反応しなくなって)しまった状態を表しているのであり、狭義では異なる。しかし、権力者からすれば、心が麻痺して何も感じ(考え)られなくなろうが、自分を恐れて逆らわず意図的に従おうが、自分の意のままに操られてくれるならばかわりはないのだ。プロパガンダという常備薬に負けないワクチンを人類は己の中に時間をかけて生成していかなければならない。いつ終わるか分からぬコロナ状勢と相まって、ウクライナの昨今を想う次第である。

 誰の都合で物事を見ているのか、権力のある者がそれを顕わにしたときに悲劇がおこる。その歴史の繰り返しなのである。本質を支える柱を麻痺することなく築いていこう。

2022.4.19

hirorin について

東京で中学の国語教師をしていました。
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