ストレスが全くないことがよいとは思わない。しかし、前後左右出たところで必ずや見舞われるのがこのストレスなのである。
人はストレスのかからない世界を夢見て、そこに辿り着くためにストレス社会を泳いでいる。現代のストレス飽和社会の荒波は乗り切ることがたいそう難しいと思える。ひとつストレスに対峙してはその対処にあたり、また違うストレスに遭遇する。この繰り返しなのである。いつしか求めていたゴールとなる安らぎのあるストレスレスな世界という初心まで忘れてしまいかねない。そうしてそこで生まれてきてしまうのが「おれは、なんのためにこれをやっているんだ!」という疑問である。
いたずらに新たなストレスという機能を次から次へと産み出して、そこに経済的な価値をも産み出さんとしていないか。ストレスの改善に向けた機能が新たなストレスを誘発するというスパイラルなのである。ストレス緩和によって産まれた産業は、ストレスあっての物種であるため、ストレスが無くなれば消えていくしかない。だから、新手のストレスを負荷すべく仕掛けてきているように見える。この世のほとんどがそうして成り上がってきた産業なのだろう。
今我々にできることは、軸をはずさないことだ。本質という軸をもって、余計なものだとわかったうえで対処すればいい。枝葉末節たる部分ばかりを切り出して対処にあたり、根幹にあたる本道に目を向けないことを常套としてはならない。自分の理解の範疇に入らぬことがストレスであるということを知ったうえで、己の本質と照らして判断していけばいいのだから。
2021.9.20