現代の様相 part2

 対処療法(対症療法)で済むものが現代にどれだけあるのだろうか?きっと、もう存在しないのだ。それくらい関係が入り組みこんがらがってしまっているものばかりだ。地球温暖化・異常気象問題、コロナ感染、ウクライナ問題、ロシア・北朝鮮・中国問題、米軍基地問題、核廃絶問題、原発事故問題、KAZU1知床観光船問題、阿武町誤送金問題、高齢化社会・年金問題、格差社会問題、経済、いじめ・ハラスメント・ストレス化社会問題、教育問題‥‥。前進改善されたでしょうか? 実感として感じとれないのが実態ではないでしょうか。
 これまで特効薬を作り上げることで処置することを競ってきた社会構造であったが、それも効果がみこめない時代へと移りかわった。それぞれが単独の問題ではないのだ。一つの考え方として、ある事柄だけに効く特効薬を作り、その問題を解決すれば、他の問題の解決にもつながるというのもあるだろう。つまり、一個一個丁寧に解決していく方法だ。しかし、時代の流れに追いつかなくなった。とりあえず、なんとなく白黒つけて決着としていく。それが常套手段となっていった結果、振り返ってみると「だからどうした?」「何が改善された?」という思いばかりが溢れだす。その繰り返しなのである。一つのことばかりにかかわっていられない多忙な社会。抱えきれない問題過多な社会。真実や本音とはうらはらの信憑性のないロジックをなぞらねばならない社会。「なるほど!」が消えた社会。散りばめられたギミックにはまり、トリガーを引かざるを得ないロジックへと誘われる社会。スマホを与えられて、学問も買い付けも支払いも全てをその範疇で賄わんとするかの社会。

 リアルな生活空間に実感のある生活実態を求めたい。教育ではIT機器を合理的に理解・認識する手段として用いられる。整理・分別して理解の手助けにするというものだ。処方箋には、それぞれの病ごとの多々の薬を書くのではなく、根源的な汎用性のあるオールマイティな薬を煎ずるべきだ。万人が受け入れられるところまで次元を下げた人間の処方箋=道徳心を描くということである。難しいものを難しく考え深く難しい答えを出すことで実感から遠ざかっていく思考を、難しいものを簡素で実態もあり実感の伴うところで決着をつける思考へと戻す勇気が必要かと思う。

2022.5.30

 

hirorin について

東京で中学の国語教師をしていました。
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